ザガイン鉄橋を渡って

?現在のインワは昔王宮があったとはとても思えない風景が広がる。長閑な椰子が林立する大地には池が点在し、その中に雨季には水嵩が上がるのだろう高床式住居の村がある。それが今のインワだ。残る仏塔は寂れるまま規模もそれ程大きくは無く豊かな自然に飲み込まれている。私は寧ろそんなインワに大きな魅力を感じた。

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 これじゃあ車では無理だろうと思う道を観光用の馬車や庶民の生活の足の牛車をバイクは擦り抜けていく。主な見所は遺跡化した幾つかの寺院と現在も残る木造の僧院、僧院としては珍しく石で作られた為、現在も当時の姿を残す僧院。そしてインワの斜塔と呼ばれる当時の傾いた見張り塔。そんな自然に囲まれた鄙びた世界観を満喫した。

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(マハーアウンミェ僧院)

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(ヤタナーシンメ パヤー)
 最後の目的地ザガインを目指す。途中ミャンマーの大河エラワディー川を渡る。マリやエジプトの旅と同じくミャンマーを旅するとはエラワディー川を旅する様なものとも言える。(マリの主要観光地はニジェール川沿いに集中しエジプトはナイル川に集中している。)

 未だ航空機が無かった時代、川は人類にとって最大の交通手段であった。だから川沿いに街が栄えたのだ。今回旅するマンダレーバガンヤンゴン(支流)それぞれエラワディー川沿いに栄えた街だ。

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 そしてそこに架かる大きな鉄橋ザガイン鉄橋、そこを渡ると一つ感じる事がある。元々この橋はミャンマーを占領したイギリスが架けた。しかし第二次世界大戦が始まり日本軍が此処に到達すると、日本軍に利用されぬ様にイギリス軍はこの橋を破壊した。

 その後戦況は悪化を辿り、此処は世に言うインパール作戦の舞台となる。日本陸軍の精神論のみの全く補給線を考えない作戦により、次々と現地の日本兵は命を落し、この街道はいつしか白骨街道と呼ばれる様になったと言う。

 企業の理論が先に立ち現場や職場の人間個人に全く目がいかないブラックなんちゃらが平気でのさばっている現代も全く同じ構図にある。懲りない国である。

 今でもマンダレーヒルやザガイン・ヒルには日本人の慰霊塔が建つ。今でさえミャンマーへ行くと言うと「何でまたそんなところまで?」と聞き返される事もあると言うのに、戦争と言う人の欲の塊は、若い兵士をこんな場所にまで追いやって命を奪ってしまうものなのだ。

 そしてイギリスと日本が争ったこの戦争で、多くの現地のミャンマーの人々が巻き添えになった事も忘れてはならない。

「貴方達の尊い命の犠牲があって今の日本の繁栄が合って、そして私は此処に旅しに来れました。もう二度と、二度とこんな過ちは繰り返しません!」