1ドルの重み

カンボジアアンコールワット、此処ミャンマーバガン、貧しい国の遺跡の風物詩として絵葉書売りの少年少女の姿がある。子供の愛らしさと可愛そうが混じってたった1ドルだからと絵葉書を買う観光客は多い。しかしその1ドルって値段はこの国ではどんな価値があるのだろう?

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例えばマンダレーで私にしぶとく付き纏ったバイクタクシー。彼の初乗り料金が1ドルだ。屋台でミャンマーカレーを頼んでも1ドルが相場だ。ミャンマーの1ドルは日本の相場で言えば500円相当の価値があると思われる。

大人達が苦労に苦労を重ね得る事が出来る1ドルを、その愛らしさを武器に子供達は遺跡でドンドン稼いでしまう。一家の大黒柱である父親の収入を上回る事も多いかもしれない。父親のメンツも丸つぶれだ。だから貧しい家庭では「学校に行かないで遺跡に行ってくれ!」と言わざる得ない家庭も多い事だろう。

その場の笑顔欲しさに何気なく払った1ドルが貧しい国で生まれた子供達の教育の機会を奪ってるとしたら、それはとても残酷な事ではあるまいか?

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(川は村人の洗濯場であり子供達の遊び場でもある)  

以前日本がバブルだった頃、とあるリゾートで有名な島で、日本人観光客が交渉もせず言い値でジャンジャン金を払うものだから、島はインフレ状態となり島で生活する人の家計を圧迫してしまったと言う。

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あれはベトナムのとある観光地。船で長閑な田舎の川降りを楽しんだ。しかし終るとガイドや船頭が一斉にチップの強要を始めるでは無いか。それはとても哀しい光景だったが彼等を一方的に責める事は出来ない。

彼等は元々チップの習慣が無いからチップの礼儀や作法は知らない。それを西洋人が後先考えずにチップを乱発した。貧しい彼等がいつしか観光客に何かすればチップをねだれるのだと思ってしまっても仕方ない事だ。これはチップの習慣の無い国で、チップを乱発した西洋人に問題がある。これは列記とした文化破壊だ。

昔日本が敗戦国だった時、ギブミーチューイングガム!と子供達が米兵に纏わり付くのを、その親はどんな気分で見ていた事か?私はその光景にとてもやりきれなさを感じた。

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(遺跡の間は放牧地)

幸い未だ此処ミャンマーでは素朴過ぎるくらいの人々が多い。取り分け印象深かった買い物がある。バガンは砂絵が有名なので一枚手に入れようと探しに行った。絵柄は勿論私をてんてこ舞いさせたタマヤンジー寺院のものだ。

私は強気の交渉制のアラブの買物に慣れている為、相手の言い値のかなり安い値段で突っ張った。相手はたまらずお互いの中間の値段で何とかしようと持ち掛ける。私はそれでも突っ跳ねた。

「値段交渉には応じない。言い値が通らないなら帰る!」

本来アラブでは此処からが本当の勝負の始まりだ。

しかし彼はすんなりとその意見を受け入れ、有難うと深々と頭を下げるでは無いか!今度はこっちが恐縮して頭をさげて有難うだった。

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ミャンマーではまだまだ観光客擦れしていない、素朴な人々が多い。しかし純白と言う色が汚れ易い様に、素朴であるが故、観光客が急増する今、一気に汚されてしまう危険性もある。

旅人とは物価が全く違う国からやってきたウイルスの様な存在である。その猛毒は一瞬にしてその国の文化、経済、価値観を粉々にしてしまう力がある。それを弁えながら旅を続けていたい。私の愛する国々を破壊しない様に。

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アーナンダ寺院の仏像)
たかが1ドル、されど1ドルなのだ。