僧侶達の食卓

?車窓では無かったバイクの後から眺める景色はそれは最高だった。走り抜けていく車、人を物資を過剰に満載したトラック、バス。アジアだなぁとつくづく感じさせるが之ももうすぐ終りかもしれない。

 車が増えすぎたヤンゴンでは最早バイクタクシーは認められていないし、遺跡の観光客が押し寄せるバガンでも安全の為観光客は原付きにも乗れないしバイクタクシーの利用は禁止されている。此処マンダレーでも時間の問題かもしれない。

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(インワの小径にて)
 到着したアマラプラのマハーガンダーヨン僧院はとても大きな規模の僧院だ。僧院と言うと普通建築を見る様に思えるが、此処では修業に集まる僧侶達が集団生活する為、浴場、洗濯場はもちろん彼等の生活する場所が確保され一つの小さな村と言える規模だ。私は同じ様な施設を同じく仏教の盛んなチベット・ラサで見た事がある。

 朝の10時過ぎになると一斉に若い僧侶がお櫃を持って集まってくる。そして集団で食事をするのが観光客の目当てらしい。それは仏教世界を少しでも知っている私には彼等の行いは神聖なものと理解出来る。しかし西洋からやって来た旅人にとってそれは、ただの物珍しい世界を写すシャッターチャンスに過ぎない光景なのかもしれない。

 その時を瞑目しながら並びながら待つ若い僧侶達を彼等は揃って馬鹿の一つ覚えのキヤノンの一眼レフを持って写していく。私だって写させて頂いているのだから文句は言わない。だけど彼等は仏像では無い、擦り寄って一眼レフをスレスレにまで構えるのはどうかと思う。私なら一瞬で手で振り払っているだろう。

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 私は過去にも同じ様な光景に出くわした。それもラサでの事だ。チベット仏教は全身を大地に投げ出す独特の礼拝をする。我々には痛々しく感じる礼拝を続ける少女を金持ちそうな金髪とチャイニーズが馬鹿の一つ覚えのキヤノンの一眼で見下ろす様に写していた。握った拳に力が入った。

 彼等は教会で修業するシスター達にもそうして御自慢の一眼レフを向けるのだろうか?私の旅はイスラーム世界が中心だった。イスラームは偶像を嫌い、写真も偶像と見做すから嫌われる。そんな中で街の風景を写したいから極力彼等を威嚇しない為にも一眼レフは使わない。

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 やり過ぎのカメラマンのせいで或は写されてる少年僧以上にエキサイトしてしまったかもしれない。気を取り直して次の目的地インワへと向かおう。そこは長らく王朝は続いたが大きな地震で崩壊、その後は見離され荒れる一方だったと言う。

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 普通なら川を渡り対岸で待つ馬車タクシーで観光する様だが、昨今道が出来たのかバイクタクシーでも行ける様になったのか運チャンから料金上乗せで営業を受ける。時間的にも金額的にもずっとお得な相談なのでその話に乗った。