スーレーパヤー1

?ヤンゴンの東西南北を貫く大通りの交わる場所、即ち街の中心にスーレー・パヤーが建っている。その黄金の輝きを見た時、疼く足と共に胸がチリチリと焼ける様に痛んだ。

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あれは2007年の事、アンコールワットとボロブドゥール、二つの大型仏蹟を巡り終え、残すミャンマーバガンの旅を計画していた、そんな時驚くべき悲報が舞い込んだ。

当時のミャンマーの首都ヤンゴンで軍事政権に対するデモが起こり、軍事政権の手によって日本のフリージャーナリスト長井健司氏が射殺されたとの報道だ。これによって私の旅は中止に追いやられた。私は自分の旅の中止と常に東南アジアの弱い人の立場を訴え続けた勇気あるフリージャーナリストの長井さんの悲報に「なんて酷いんだ!軍事政権は!」と握る拳に力を入れた。

しかし待てよ!何かが変では無いか?それはまるで操られているかの様だ。私はもう一度映像を振り返った。そこには長井さんが撃たれる瞬間が写されており、それは真芯で撮られていた。不思議では無いか?どうして撮影者は長井さんを真芯で撮影出来たのか?そもそも誰もが逃げ出しているデモの最中にどうして慌てる事も無く、淡々と撮影が出来たのか?まるでそれは長井さんがそこで射殺されるのを知っていたかの様なクリアで上手い撮影だった。

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そう!多分それが答なのだ。犯人は長井さんがそこで射殺されるのを知っていた。では誰がそんな事を?手口はあの9・11と全く同じだ。あの事件で民衆はどう動いたか?あの事件も出来過ぎた映像を元に民衆をテロとの戦いへと導いた。結果敵と見做されたイスラームはテロリスト以外も多く批判の対象となり、欧米の罪の無い若者が多く戦死した。(今となってはその出来過ぎた映像が逆に様々な嘘を露呈し、あれはテロリストが出来る事件では無かった事を証明しているが。)

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ミャンマー軍事政権の兵士は軍靴を履いている筈なのだが、この兵士は不思議な事にサンダルを履いている)

ではこのケースではどうか?軍事政権を罪の無いフリージャーナリスト射殺の犯人に仕立上げ、軍事政権批判の世界的世論を一気に盛り上げようと画策したのだ。つまり犯人はそれを支援する欧米側にいる。暗殺者を軍事政権側に送り込み、場所、時間を指定した上で事を行う。そうすればあの映像が出来上がった理由とピタリと合致する。そしてそれを世界にメディアがばらまけば一気に軍事政権批判が巻き起こると言う算段だ。

ではどうして欧米はそんな事までしてミャンマー民主化を推し進めたいか?ミャンマーの為である筈は毛頭無い。彼等は民主化の後に拡がる無限の経済マーケットの主導権を握りたいだけだ。昔からミャンマーに影響力を持つライバル中国の力を払拭し金儲けをしたい。だからこそ欧米の裏の権力者達はあらゆる手段で、民衆が大好きな正義心を煽る事件をでっちあげ、民衆をコントロールしようとしたのだろう。勿論これは私の推測だが。

しかし、此の様な民衆コントロールのいきつく最悪なものこそ戦争と言うものだろう。憐れ偽造された正義に同調した愚かな民衆は正義と信じ命を落とす。戦争では多くの軍需産業がお金を儲け、彼等が作った武器が破壊した街は金持ち達にとって復興と言う名のこれまた恰好の稼ぎ場となる。戦争で全てを失った民衆との貧富の差は拡がるばかり。

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(ボータタウン パヤー)
つまり戦争とは金持ち達が自分の立場を守る為に、貧富の差を決定つける為の作業に過ぎない。これまで起こった近代戦争のどれひとつとして正義なんて有り得ない。あるとしたら彼等が作り出した捏造された正義、即ち欲だ。だから彼等は尖閣やら慰安婦やら民衆が飛び付きたくなる正義を掲げ、裏で算盤を弾いている。

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(ボータタウン・パヤー内部)
決して戦争を起こしてはならない。奴等の罠にかかってはならない。互いを信じる心に悪魔は忍び込もうとその目を爛々と光らせている。