ミャンマーに愛を込めて

 シェーダゴン・パヤーを後にして、その両隣にある人民公園とカンドーヂ湖を散策した。二つとも軍治政権時代はひっそり閑古鳥が鳴いていたそうだが、クリスマスと言うこともありどちらも賑やかで暖かい雰囲気に包まれていた。庭園の綺麗さとか眺めより、私はそんな風景を眺めている方がよっぽど良かった。

イメージ 1



 湖を後に地図で見ると上、即ち北に位置するチャウダッジー・パヤーまでちょっと遠いが歩いて見る事にする。此処はシェーダゴン・パヤーや湖や庭園のすぐ側に位置し近くには各国の大使館。そう!それはヤンゴンの高級住宅街と言う事を意味する。先の若者が語っていた田園調布やシンガポールより高いってここら辺の事か?なら麻薬シンジケートの親玉のアジトももしかして?

イメージ 2



 高級車行き交う大通りを渡ると日本大使館があった。大使館がある界隈に私が出没する事なんて滅多に無いからちょっとのぞき見してたら警備員がやって来たので逃げた。その曲がった路地をズンズン北上する。言われて見れば高級そうだが、何とも言えない。ちょっと行くとアウンサン・スーチー氏の父で国に功績があったアウンサン将軍の住んでいたと言う家があった。

 更にそれを越し、もっと奥へ入った所で私は目を疑った。まるでエアポケットに堕ちたかの様に古びたと言うより廃墟同然の団地が林立していた。しかしそれは良く見れば決して廃墟等では無く人が暮らしているのであった。

イメージ 3



 ちょっと躊躇したが分け入って行く。でもそこはスラム独特のよそ者に敏感な冷徹な目線がある訳で無く普通のミャンマー人達だった。団地の脇の小道には木の枠組みと布の屋根だけの屋台が並び、そこが団地の商店街の役目を果している様だった。そこにはロンジーを巻きタナカを塗った女性がたむろしていた。そこはまるで大都市ヤンゴンの一角にミャンマーの田舎の村が紛れ込んでしまったかの様な光景だった。

 私が「チャウダッジー・パヤーはどう行けば良いの?」と尋ねれば、独特のはにかみ方して教えてくれる。するとすぐそこに寺院があったが、果してこんな場所だったかな?と思えば、そこはまた違う寺院らしい。山道を登れば僧院さえ合って、また再びパヤーに出た。子供に再び聞いて見ると、それはもっとあっちだ!と言う。

 巨大な仏教施設の集合体を抜けるとやっとエアポケットから抜けたのか車が犇めく大通りに出た。通りを渡ればそこには巨大な寝仏が横たわるチャウダッジー・パヤーがあった。

イメージ 4



 如何にもミャンマーな寝仏を見終えミャンマー最後の日暮れを過ごすべく再び乗合バスに乗る。本来シェーダゴンで過ごしたかったが、修復中で本来の輝きは望めない。ならダウンタウンの中心スーレー・パヤーで過ごそうと思う。長井さんが最期きっと目にしていただろう平和を願う黄金の塔で。

 パヤーに着き日没を待った。ライトアップが始まる頃何と隣接するモスクのアッザーンが聞こえて来た。仏教の境内でイスラームの礼拝の呼び掛けを聞く、何とも不思議な感触だ。やがて空が青みはじめその時がやってきた。シャッターを降ろす。

イメージ 5



 激変してゆくヤンゴン、それはやがてはミャンマー全体を覆ってゆく事だろう。だけどやっぱり絶対変わって欲しく無いものがある。少年少女達のあのはにかんだ笑顔。優しい心。

 世はミャンマーを経済のラストフロンティア等と申すが、私からすれば此処は笑顔のラストフロンティア

心の底から大好きなフレーズが流れ出す。

そこから逃げ出す事は誰にでも出来る事さ
諦めと言う名の傘じゃ雨は凌げ無い
何もかもが知らない内に形を変えてしまう前に
いつかその胸の中までも曇らぬ様に?right?away
追いかけるのさ?my?friend
トランク一つだけで浪漫飛行へ in?the?sky
飛び回れこの my?heart
時が流れて誰もが行き過ぎても
your?just?my?friend
この胸に

夢を見てよ!どんな時でも
全てはそこから始まる筈さ!

満島ひかり?CM?カロリーメイト?浪漫飛行?「新社会人へ」篇:?

※上手く再生できないときはコチラから