パリュミラ遺跡3

 砂山を降りて遺跡に戻る頃日暮れが迫った。遺跡が夕陽に照らされて真っ赤に染まる。列柱が四面門が真っ赤に燃える。やがて陽が落ち赤から青へ、そして漆黒が空を覆い始める。観光客は姿を消し遺跡は静寂を取り戻す。砂漠の遺跡は陽が沈むとグッと気温が下がり肌寒くなる。そんな頃遺跡のライトアップが始まる。闇夜に浮かび上がったコリント式の列柱を眺めながら過ぎ去った栄光の日々と流れた途方もない時間に思いを馳せつつホテルへ戻った。

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 翌日はちょっと早起きをして遺跡に向かった。もう9月も下旬だと言うのに日中は軽く30度を越えるパリュミラ遺跡も朝には半袖では寒く感じる程。やがて椰子の木陰から太陽が昇る。モノトーンの遺跡が朝陽を受けて生命を帯びた様に赤く輝き出す。朝陽、夕陽、その瞬間だけ遺跡はまるで止まっていた時間が動き出したかの様に生き生きとした姿を見せてくれる。

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 そんな遺跡を眺めに来たのか?シリア国内から旅してきた若者と暫し語らいながらホテルに戻った。其処から一路行き来た道を引き返し、再びバグダッドカフェで一服を取りダマスカスへ戻った。ダマスカスもまた歴史の古い街でイエメンのサナアと共に現存する世界最古の街と呼ばれている。パリュミラ遺跡と同様、砂漠のオアシス都市だったダマスカスは地中海、メソポタミアアラビア半島を結ぶ交易の要衝として紀元前二千年から四千年の歴史を持つ。旧約聖書にも記述されたこの街の魅力は多くの征服者を呼び寄せる事となり、アラム人、アレクサンドロス大王ローマ帝国と次々と支配者が代わりこの街を支配した。

 イスラームがこの地に到達したのは7世紀の事、そしてイスラーム初代の世襲の王朝であるウマイヤ朝がダマスカスを首都に花開いた。ウマイヤ朝は急激に領土を拡大し、最盛期には東は中央アジア、西は北アフリカ、更にはイベリア半島即ち現在のスペインまで勢力を拡大し、現在のイスラーム圏の原型を作り上げたと言って良い。

 しかし750年に起きた政変によりウマイヤ朝アッバース朝に破れ首都もバグダッドに移された。(その後ウマイヤ朝イベリア半島に逃れ、現スペインのコルドバに首都を定め後ウマイヤ朝を開いた。)しかしダマスカスはその後も街としての重要性は失われる事は無く、現在もシリアの首都として政治、経済、文化の中心として機能し続けている。

チュニジアで痛ましい事件が起きました。国籍を問わず、旅人達のご冥福をお祈りします。