パリュミラ遺跡1

 ではパリュミラ遺跡の歴史を紹介しよう。この地方の歴史は古く旧石器時代に遡るが、やがてパリュミラは地中海とメソポタミアを結ぶ隊商(キャラバン)路の中継都市となった。交易は更にインド、ヨーロッパへと広がり、前64年ローマ軍が侵攻しパリュミラはローマの傘下に入った。

 此によってベル神殿、円形劇場、記念門等ローマの建築様式を取り入れた都市国家としてパリュミラは成長していった。その後も西のローマと東の列強の中間に位置する立地を活かし、交易を通じて財力を蓄え繁栄を手に入れた。また3世紀には東に興ったサザン朝ペルシャローマ帝国と戦いを繰り広げる様になったが、パリュミラはローマの先鋒として戦いローマ帝国を支えた。

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 しかし3世紀後半女帝の地位を手に入れたゼノビアローマ帝国からの自立を企てる。事実実際ゼノビアは実力の持ち主だった。たった5年の内にシリア、エジプト、アナトリアの大部分を手中に納めてしまったのである。しかしこれはローマ帝国の逆鱗に触れる事となる。273年パリュミラローマ帝国の遠征軍に破れ壊滅してしまう。

 栄光の時は過ぎ去ったが、パリュミラはその後もオアシスの交易都市として存続していく。しかしアラビア海を渡る海洋航路が交易の主流を占める様になると、交易路から外れたパリュミラは次第に忘れ去られた存在となっていった。

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 ではパリュミラ遺跡を歩いて見よう。遺跡で一番大きな建物はベル神殿だ。その大きさと壮大さから此処が遺跡で一番重要な建造物である事が解る。バビロニアの大地の神ベルに捧げられた神殿で約210メートル四方の聖域を持っており、内部には国王や神官等ごく限られた人しか入れなかった。

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 神殿から列柱を辿り車道を挟んだ向かい側にある門が記念門だ。この遺跡が雑誌等に取り上げられる時、必ずやこの記念門を入れた構図が紹介されるので、遺跡が好きな人は何処かで見たことがあるかもしれない。此処から保存状態の良い列柱が両側に続くが、これ程整然と残されたローマ遺跡は珍しい。

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 高さは約10メートル上部にアカンサスの葉が刻まれたコリント式と呼ばれる古代ギリシャ様式の石柱だ。当時は375対の円柱が建てられていたと言う。現在でも150本残っている。嘗てはこの壮大な列柱に囲まれたメインストリートを駱駝の隊商が列を為して歩いていたに違いない。今も駱駝が観光客を乗せて右へ左へと歩いている。次回は更にメインストリートを奥に進んでみよう!