ジェラシュ2

 劇場から遺跡を眺めて印象に残るのは卵形に配された列柱だろう。これはフォーラムと呼ばれる広場だが何処かで見た事がある様式だ。思い出してみるとそれはヴァチカンのサンピエトロ広場だ。この様式は古くはこの時代にもう生まれていたのかもしれない。

イメージ 1

 

 劇場から坂を降りフォーラムを抜けると列柱が連なるメインストリートに出る。パリュミラ同様この通りに沿って街の重要施設が建ち並んでいる。ローマ帝国の植民都市はフランチャイズの様なものであり、何処も形式は統一されているので、一つの遺跡で様式を覚えておくと構造が解りやすい。

イメージ 2



 また列柱の上部の装飾にも注目したい。渦巻き型の装飾があるのがイオニア式、アカンサスの葉の装飾があるのがコリント式。コリント式の列柱がある方が年代が新しいものである。

イメージ 6



 メインストリートの最初の重要な施設はアゴラだ。ローマ、ギリシャ遺跡には必ずある広場で集会場を意味する。パリュミラにもあった様に街の中心の十字路には四面門が聳える。此処から北に向かえば今まで旅をしてきたダマスカスを過ぎパリュミラへ、そしてそこからシルクロードへと連結していた。東に向かえばバグダッドへと続く街道、西に向かう道はエルサレムへ通じた。南に向かへば、これから向かう先アンマンを通りペトラ、エジプトへと通じる。正に交易の十字路としてジェラシュが存在していた事が解る。

イメージ 5



 更に四面門から歩みを進めれば、キリスト教伝来以降の遺構が残されている。大聖堂跡、妖精に捧げられたニンファエウム、アルテミス神殿等。そして北門が遺跡の終点となっている。遺跡はこれだけでも十分広いものだが未々未発掘の部分も多い様で調査待ちだとの事。それだけでこの遺跡の規模の大きさを窺い知る事が出来る。

イメージ 4



 しかしながらこの遺跡はパリュミラやバールベックと事なり世界遺産にはなっていない。それはこの遺跡がこれまで行ってきた行事が世界遺産化すると出来なくなってしまうから敢えて登録を見送っているとの事の様だ。日本にも世界遺産になったばかりに伝統行事が出来なくなってしまった寺院もあるので、それが正解なのかもしれない。

イメージ 3


 
遺跡を去り再び車で1時間、凹凸の多い地形にぎっしりと民家が連なる大都会が見えてくる。アンマンに到着したのだ。