バグダッド・カフェ

 シリアへ行ってきました!とか書くと今では大騒ぎになってしまう事でしょう(笑)でもご安心を!09年に旅した記憶の中の話です。その時でさえ3年ほど待たされた。イスラエルレバノン空爆があった事で・・・

 ダマスカスに到着したその足でパリュミラ遺跡へと足を伸ばした。途中バグダッドカフェと言う道端の喫茶店に立ち寄った。もしかするとこの分岐点を曲がればバグダッドへ行けるのかもしれない。何処かの戦争大好き国家の横暴さえ無かったら、見所満載の街の筈だ。ベドウィンの入れてくれたチャイを傾けながら未だ見ぬバグダッドに想いを馳せた。嘗て其処は世界の中心だった・・・

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 ダマスカスを出発して車窓を眺めれば、ダマスカスでさえ日本人にして見れば乾燥していると言えるのに、緑はみるみる内に減少していきバグダッドカフェを過ぎる頃には完璧な砂漠と化してしまう。そんな道を約3時間。漸く遺跡に到着した。

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 ホテルに入り荷物を置き、先ずは食堂で腹を満たす。長い移動で疲れている筈なのだがホテルの窓から見える遺跡の展望を目にしてしまうと疲れなんて吹き飛んでしまい、飯さえも喉を通らなくなる。逸る心を抑え飯を喉に流し込みベランダに出た。先日まで書店で毎日立ち読みしては溜め息をついていたその光景が、今目前に迫っている。

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 信じられない想いでその光景を眺めていると、車の中で疑問に感じていた事が解決した。それは果たして水も無い砂漠にどうして遺跡が残っているのか?と言う事。しかしホテルのベランダから眺めれば、其処には鬱蒼とした夏目椰子が広がっている。そう!そこはオアシスだったのだ。このオアシスは遺跡が街として機能していた頃から今日まで続いているのだろう。勿論今日の街もこのオアシスに沿って広がっている。

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 オアシスと言えばシルクロードの旅を思い起こす。シルクロード交易とはオアシス沿いの街を伝って行われた交易である。そして此処パリュミラもそんなシルクロードの一部なのである。

 中国西安を発したシルクロードカシュガルサマルカンド等の中央アジアを通りバグダッドから此処パリュミラを経て現在のレバノンから海路でローマへと達した。奈良にある正倉院にある宝物の中には、此処パリュミラを経て日本に持ち込まれた品もあった筈だ。遥か昔、こんな遠い場所が日本と一本の道で繋がっていたと思うと深く、熱い感動に包まれる。