バールベック1

 翌日、国境を超えて日帰りでレバノンのバールベック神殿へ向かった。ダマスカスから小一時間西へ走ると国境に到着する。シリアよりレバノンの方が物価が安いのでシリア人はレバノンへ買い物に行き、レバノン人はシリアへ仕事に出掛ける。そんな訳で国境は大変混雑していて通過に時間がかかった。

 国境を超えると標高が高まり緑が少しばかり増える。レバノンは砂漠がちな中東にあって緑豊かな高原が連なるので中東のスイスと呼ばれている。走る道路の中央分離帯にはエルサレム岩のドームを拝むパレスティナの人々のポスターが永遠と張られ、この地方の抱えている問題を考えさせられる。

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 バールベック神殿は初めフェニキア人の信仰していたバール、ハダト等の三神を、この地を征服したローマ帝国が、ローマの主神ユピテル(ジュピター)と習合し、神殿を建設した。神殿は直径2・2メートル高さ20メートルの列柱58本に囲まれた世界最大級のローマ神殿だったが、現在では6本が残るのみである。階段がある広大な敷地が残り、そこに聳える6本の柱から当時の神殿の偉容を想像した。

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 残された柱から見てもギリシャパルテノン神殿を遥かに上回る規模だった事が解る。これだけしかないと写真では想像し辛いかもしれないが、現地ではそれが逆に想像力を膨らませてくれる。遺跡には人の想像力を沸かせる力が秘められているのかもしれない。

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 でもこれだけでは見に来た甲斐が無いと思う人も安心して欲しい。隣に聳えるバッカス神殿はほぼ完璧な保存状態で残されている。大きさはユピテル神殿に及ばないものの、それでもパルテノン神殿を凌ぐ規模を誇っている。華麗な装飾も見ものだ。

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 そんな壮麗な神殿群を誇るバールベックもローマ帝国キリスト教を国教とした事で運命が大きく変わってしまう。バールベックは先述の通りキリスト教以前に祀られた神々の神殿だ。それ故にその後神殿の造営は凍結され、出来上がっていた神殿はキリスト教の教会等に利用される事となる。こうしてバールベックは本来の存在に終止符を打ち、この地がイスラーム化すると要塞都市として存続した。現在は観光と高原農業で生きる小さなイスラームの町である。