ジェラシュ1

 シリアへ一旦戻りそこから今度はヨルダンの国境を超えた。ヨルダンはシリアより物価が高いせいかレバノン国境より人は少なかったがセキュリティチェックが厳しくこの国境通過も時間がかかった。そこから車で1時間。この旅三つ目の遺跡となるジェラシュに到着した。

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 この地は紀元前332年アレキサンダー大王が訪れた頃から記録に残る。紀元前64年にローマ帝国がジェラシュを植民地として吸収しダマスカスやウンム・カイス等10の都市からなる連合デカポリスの一つとなった。

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 ジェラシュはペトラや東方都市との交易で潤い繁栄した。当時人口は二万五千人程、絶頂期は3世紀だったと推測されるがパリュミラ遺跡同様海上貿易の発達に伴い貿易ルートから外れるとやがて衰退していった。その後ローマがキリスト教化するとジェラシュの神殿も教会として改修され、それはビザンティン(東ローマ帝国)時代へと受け継がれていく。その後この地はイスラーム化したが8世紀に地震の大きな被害に遭い、以降12世紀に十字軍が短期滞在した以外は現在まで存在を忘れられていた。

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 では遺跡を歩いてみよう。先ず最初に凱旋門が私達を出迎えてくれる。更に歩みを進めると両側に小さなアーチを従えた三連の門が建っている。パリュミラにもあったのと同形式の門だ。これがジェラシュの本格的な入り口となる。

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 進行方向左手にゼウス神殿、更に坂を登った場所に南劇場がある。ファザードの美しさはパリュミラに譲るが、観客席の規模ではパリュミラを凌駕する大きさだ。観客席に席番が記されているのも興味深い。当時の人も、私達がコンサートの席を暗い会場の中で番号を頼りに自分の席を見つけ一喜一憂した様に、彼等もチケットに記された席番を頼りに自分の座るべき場所を探したのだろう。またこの劇場は高台にあり、更に観客席は非常に高いのでそこからの遺跡の展望は素晴らしい。此処から遺跡のあらましを覚えておけば遺跡散策に好都合だ。