ダマスカス3

 さてダマスカスには先述したスーク・ハミディーエの他にもう一つ重要な道がある。スーク・ミドハドパシャから続く真っ直ぐな道と呼ばれる道だ。この道は新約聖書に登場する舞台でもありキリスト教の巡礼者の集団がガイドの説明を受けていたりする。ウマイヤドモスク内部にもヨハネ首塚があったが、キリスト教所縁の名所も多いダマスカスは以外な程キリスト教徒も多く住んでいる。

イメージ 1



 真っ直ぐな道を東に歩くとローマ時代の門があるが、これより東がキリスト教徒地区となっている。ダマスカスのキリスト教地区に、現代キリスト教にとってとても重要な教会が残っている。聖アナニア教会だ。

イメージ 2



 イエスの死後、キリスト教徒はユダヤ教徒から猛烈な迫害を受けた。そしてその中でも積極的に迫害を続けていた男パウロがいた。彼がキリスト教徒を追いダマスカスに到着した時、彼は強烈な光を浴び失明してしまう。そして復活したイエスに逢う事になる。そしてアナニア教会で彼は改心するのである。この出来事から目から鱗と言う諺が生まれる事になる。

 改心してからのパウロの活躍はそれは字の如く目から鱗そのものだった。イエスですら布教はユダヤ世界のみしか想定していなかった。勿論他の使徒達もユダヤ人以外への布教には否定的な考え方を持っていた。しかしパウロは積極的にその掟を破り、ユダヤ人以外にもキリスト教を広めていった。つまりパウロがいなかったとすればキリスト教ユダヤ教の一派で終わっていたかもしれないのだ。

 このキリスト教にとって重要な出会いと転換点がダマスカスのアナニア教会だと言う事になる。それにしてもどうしてパウロは此処で全くそれまでとは真逆な道を歩みだしたのか?それは宗教に詳しい遠藤周作氏ですら著書の中でキリスト教最大の不思議の一つであると称している。私が推測するにパウロは非常に思い込みの激しい熱血漢であったのでは無いかと思う。一時期は激しい迄に弾圧していたキリスト教が、実はこれこそと思った瞬間、それまでを全て捨て去りキリスト教の布教に自身の命を全て捧げた。ともかくキリスト教世界宗教として育ったのはこの男の活躍だとして過言では無いだろう。

イメージ 3



 イスラーム地区からキリスト地区へ入っても風景が別段変わる訳では無い。男性に至っては全く区別がつかないが女性は劇的と言って良い程変化する。イスラームの女性は全身を黒いベールで覆っているが、クリスチャンは服に制約が無いので全く現代的な服装だ。

 これは個人的見解だがアラブの女性は世界一美しい。目を見ただけで吸い込まれそうだ。だけど残念な事に黒い ベールで全身を覆われ想像するしか出来ない。その中はどうなっているのか?男なら必ず想像してしまうものだが、その解答こそ此処に住むクリスチャンの女性達の姿だ。栗色がかったロングヘアーをたなびかせ、スタイル抜群なボディにタンクトップ。これは・・・目の保養を通り越して目に毒だ。アッラーは男性に気を遣って彼女達にベールを被らせたのでは無いか・・・そんな気がした。

イメージ 4



 因みに住む地域は別れていても人々は分離して生活している訳では無い。私は街を歩いていて幾度も黒づくめのイスラームの女性とタンクトップ姿のクリスチャンの女性が肩を並べお喋りを楽しみながら歩いている姿を見かけた。そう、あの時は・・・