アンマン1

 さて今回の旅も遂に最終目的地アンマンに到着となった。悔いの無い様に一日を過ごそう。此処アンマンもシリアのダマスカスと肩を並べる程歴史がある街だ。なんと9千年前からの記録が残る。そして此処もダマスカス同様様々な勢力がこの街を支配した。
 
 紀元前1200年にはラバト・アンモンの首都となりアレキサンダー大王の東征後はエジプト・プトレマイオス朝の勢力下に置かれ、フィラデルフィアと改名された。ローマ時代には先に紹介したジェラシュと共にデカポリス(十都市連盟)の一部となり、ヴィザンツ時代を経て7世紀にイスラーム化した。ウマイヤ朝がダマスカスを首都として栄えた時代には此処に離宮が建てられたが、アッバース朝の時代になって首都がバグダッドに移されると徐々に衰退しアンマンは一時歴史からその名を消してしまう。今のアンマンに明確な旧市街が残されていないのはその為だ。

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 しかし19世紀オスマン朝時代から徐々に人口が増え始め、そして現代の中東戦争によるパレスティナ難民の大量の流入により爆発的に人口が増えた。しかしそれは治安、衛生状態の悪化に繋がり、アンマンは愚かヨルダン自体の国家の存亡の危機となるが、ヨルダンはこの危機を乗り越えた。

 1980年レバノン内戦、1990年湾岸戦争2003年イラク戦争そして現在のイスラーム国と常に近隣諸国の問題に晒され続ける立地ながらアンマンはそのシェルターの役割を持ちつつ金融や商業の中心として発展を続けている。

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 隣国が紛争が絶えない中どうしてヨルダンが安定しているか?それはこの国の国王の人柄によるところが大きいのでは無いか?イスラーム国にヨルダンのパイロットが捕まり悲惨な方法で殺害された事件は記憶に新しい。その報復としてヨルダンはイスラーム国を空爆したが、その攻撃にヨルダン国王自ら出撃したと言う噂が真しやかにヨルダンに流れた。

 勿論国王自ら攻撃に出る事は有り得ない。しかし国王は元空軍のパイロットだった。そしてそれ以上にイスラームの歴史上の名君の行動に肖って、自らタクシーの運転手や一般人に変装して庶民の生活を体験した事実があるのだそうだ。ヨルダン版暴れん坊将軍みたいな感じだ。なので国王は庶民にとても愛されている存在なのでその様な噂が立ったのだ。我が国の・・・とはまるっきり違って格好良い人物だ。

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 そしてヨルダンの安定した国の経営は、敵対している筈のイスラエルの政治家に、「もしヨルダンに危機が訪れたら中東の平和は終わりだ。だから我々はヨルダンの危機には全力で助ける用意がある。」と述べさせた程だ。