死海

 翌朝起きれば年甲斐も無くはしゃぎ過ぎたのか体の節々が痛む。ロボットの様な動きで車に乗り込んだ。車窓からは月面の様な地形が続く。車はどんどん高度を下げていく。やがて深く沈んだ青色の湖が見えてくる。海抜マイナス418メートル。地上で最も低い場所だ。

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 到着すると海水パンツに着替えて早速飛び込んだ。しかし慌てたのが良くなかった。死海を甘く見ていた。浮力が有り過ぎて勢い良く飛び込んだ私はその勢いで体がグルグル回ってしまいまるでラッコの様に回転を続けて止まらない。泳ごうにも浮力が有り過ぎて足が浮いてしまう。目に水が入ると痛くて開けていられない。

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 でも本当は簡単なのだ。そっと体を浮かべれば笑っちゃうくらいに浮く。ヨルダンの日程をペトラを先に回して本当に良かったと思った。今日は湖に浮いてペトラの疲れを癒せるが、反対だったらふやけた後に過酷な登り降りが待っている。

 死海名物泥パックにも挑戦し全身シャネルズ状態になったりした後はビーチチェアに腰掛け暫しマッタリと過ごす。湖の対岸はイスラエル。持参した遠藤周作氏の「死海のほとり」を熟読した。

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 今でこそリゾート開発が進む死海だが、ユダヤの民がエジプトからこの地を訪れた時、彼等はどう感じたのか?月面の様な乾いた大地を旅し続け、漸く水を湛えた湖に辿り着いたと思いきや魚一匹住めない死の湖。まるで日本と対称的な世界。しかしユダヤ教キリスト教イスラームと言う一神教はこの地を縁に生まれている。

 日本は多彩な自然環境に恵まれている。それは多彩な恵みを日本人にもたらすが、一方多くの天災をももたらした。が故に我々は多彩なそれらに畏れ、感謝するべく多彩な神々が生まれた。

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 一方此処では水も季節も無い世界。自然に祈りを捧げても絶望しか返って来ない。そんな世界で人が集団で生き残るには、強烈なリーダーシップを取れる存在と集団を纏めあげる強固なルールが必要だった。それが唯一絶対なる神の存在であり、預言者であり、戒律だったのであろう。日本にいては知識では解ったつもりでも噛み砕けなかった一神教が私的解釈ではあるがなんとなく解った様な気がした。

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 再び湖に入り浮遊を楽しみ、ほとりでは無く湖上で死海のほとりを読み耽った。湖面に太陽の光が乱反射している。平和なひとときだった。