旧ユーゴスラビアを旅する完全版+モンテネグロ編序章

コソボの首都プリシュティナを発った夜行バスは事もあろうにモンテネグロの首都ポゴドリツァに早朝2時半に到着してしまった。バスは此処が終着では無いので仕方ないのかもしれないが、国境通過で起こされ、2時半到着では全く眠れない。バスターミナルのベンチにあしたのジョーのラストシーンのジョーみたいな体勢で爆睡する。

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さて、旧ユーゴスラビア三か国目モンテネグロとはいったいどんな国なのだろうか?モンテネグロは後から紹介する旧ユーゴスラビア最大の勢力であるセルビア民族とほぼ同じ民族である。宗教も同じ東方正教会。言語も訛り程度しか違わない。しかしオスマントルコ征服時代に、セルビアは征服を受けたのに対し、モンテネグロ自治国扱いに留まった。この事からモンテネグロ人に民族意識が芽生えたと言われる。

目まぐるしく国境が変わり、国が生まれたり他国に飲み込まれたこの地域、日露戦争当時、モンテネグロは一国として存在しており、ロシアと共に日本に宣戦布告している。が、すぐユーゴスラビアに組み込まれ、2,006年に独立する迄それが続いたので、モンテネグロが独立を果たすと、日本とは交戦状態と言う事になってしまい、日本、モンテネグロ各国が慌てて戦争終了の調印を交わしたと言うエピソードがある。

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さて旧ユーゴスラビアが血みどろの内戦を繰り返し、各国が独立していった後も、同族のよしみで連邦に残留していたモンテネグロセルビアとしてはどうしても残留して欲しかったのだろう。あれだけこだわっていたユーゴスラビアと言う名を捨てて、セルビア・モンテネグロと言う二国の連名の国名に変えてまでモンテネグロを引き立てたが、結局モンテネグロも独立を宣言した。

ユーゴスラビアから独立を果たした国々は、その後それぞれEU加盟を目指した。折角独立を果たしたのに結局何処かに所属していなければ危なっかしい…。何か矛盾する様でもあり、それが人間の宿命でもあるとも思える。勿論モンテネグロもその例に漏れない。だとすると、これまでの紛争の原因を作り、西側諸国から悪者のレッテルを張られたセルビアと連邦を組み続ける限り、EU加盟は困難となる為、モンテネグロセルビアを見捨てる格好で連邦を離脱したと言える。

ただ独立すると言っても、そこに金の問題は大きくか関わる。しかしモンテネグロにとってそれは大きな問題では無かった。モンテネグロにはアドリア海沿いに観光資源となる世界遺産の街がある。ビーチリゾートの性格も持つ為、一般の観光客だけでは無く長期滞在者も見込める事が出来る。更にモンテネグロ政府はイタリアのマフィアと結託して彼等の隠れ家としてそれらの街を利用させる事で黒い金を存分に手にしていたと言う。

セルビア内陸国で経済力に乏しいばかりか、紛争をおこして以来四面楚歌となり更に経済が低迷している。そのセルビアと手を組む事は、モンテネグロとしては泥舟に乗る様なものだったろう。こうしてモンテネグロは独立を宣言。最早セルビアに引き留める手立ては無く、モンテネグロマケドニアに次いで無血の独立を勝ち取ったのである。

さて、此処でお願いがあります。モンテネグロにて私はコトル、ブドヴァの順に訪れましたが、これから過去の記事と繋ぎ合わせる関係上、日程を反対にして、ブドヴァ、コトルと紹介して、2011年に訪れたクロアチアドブロブニクからボスニアヘルツェゴビナモスタルサラエボと繋げて、今回の旅の続きであるセルビア編に突入する予定です。宜しくお願いします。