旧ユーゴスラビアを旅する完全版+コソボ・プリズレン

 アルバニアのティラナから山道を走り、途中湖畔の休憩所で一服を摂りコソボのプリズレンに到着した。バスターミナルから旧市街に向かう途中、初めて視界に入ってきた宗教施設は予想を反して教会だった。四方を鉄柵で囲まれているのは他の場所でも治安対策として当然として、更にその上部には有刺鉄線がグルグル巻かれているのはどう見ても異様な光景だ。

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 この教会の名はリェヴィシャの生神女教会。12世紀に作られた教会だ。コソボ紛争が始まると両者の心の拠り所でもあるモスクや教会は、両者にとって格好の破壊の対象となった。こうした破壊の犠牲を増やさぬ為、セルビアの申請でコソボに位置する4つの由緒ある教会が世界遺産となると共に危険遺産に認定された。その内の幾つかは国連の手で保護されている。だが、最早この教会は既に外観を抜かしてほぼ廃墟となっており、教会内を覗けば両者の凄まじい怨念を見る様な気がした。

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 更に進めばプリズレンの中心を流れるルンバルディ川に出た。川沿いにはオープンカフェが建ち並び多くの人が寛いでいる。その先の橋は日本でも見かける様になった恋人達が愛の永遠を約束して掛ける鍵がぎっしりと橋の柵にかけられていた。その先にある石橋は典型的なオスマントルコ様式のもの、その向こうに建つスィナン・パシャ・モスクと石橋の構図はプリズレンを紹介する時必ず使われる構図でもある。そしてモスク前の広場がプリズレンの中心でもある。

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 その広場の奥から急な坂を登っていく、途中教会が残されている場所からのプリズレンの眺めも良い。更に登って行けばプリズレンを一望出来る城壁に出る。それにしてもバルカン半島の街は訪れる街毎に城塞が残る。それだけ争いが絶えない歴史だったのだと思う。

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 そしてそれは今も…。城塞からの眺めはそれは素晴らしいものだったが、城塞の中の雰囲気もとても素晴らしいものだった。遠足だろうか子供達が歌いながら皆と歩いている。とある広場でみんなで大合唱。周りのみんなも足を止めて拍手喝采

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 若者達とも語り合ったりおじさん達とも語り合ったり…。

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 城塞から降りるとタイミングが良かったのか往きは閉まっていた坂の途中の教会が開いていた。セキュリティの問題から国籍を尋ねられたが日本と言えば合言葉の様に入れて貰える。

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 天井が無く此処も紛争の犠牲かと思ったが、実はそうでは無いらしい。此処から眺めるプリズレンの景色も素晴らしかった。

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 街を散策し、そのままルンバルディ川を遡っていったら、ちょっとした渓流の様になっていたので、それに沿って進んでいったが、この旅のお約束でもある夕立に打たれ断念。

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 宿に戻って一休みしている内に雨が上がった。なんと無しに階段を下がらず上がっていったらテラスからの景色も抜群だった。こう言う事は是非チェックインの時に教えて欲しい(笑)

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 さて夕暮れ前に雨上がりの散策だ。イスラームらしい変哲の無い路地を別段目的も無く歩く。途中で暇そうにチャイを飲んでいたオジサンに声かけられる。オジサンにチャイをご馳走になって雑談に花を咲かせた。

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 オジサンは私にコソボの事をどう思うか?と聞いてくる。勿論私は大好きだと答える。こうした世界のに満場一致で承認されていない国々に暮らす人々は外国人に良く同じ質問をする。平和そうに見えても、やっぱりいつ再び凄惨な争いの日々に戻り兼ねない不安定な状況に、張り裂けそうな不安を秘めながら暮らしているのだと思う。

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 オジサンはそれでも不安だった様で

「一般論じゃなくて、貴方の本心が聞きたいんだ。」

 って再び尋ねる。それなら言おう。

「私はこれまで70以上の国々を旅しています。だけどその中でイスラームの国々が一番好きなんです。理由は色々ありますが、それより理屈じゃなくて好きなものは好きなんです。だからコソボもとてもコンフォータブルな想いで滞在してます。困っていると道端の何でも無い人が然り気無く助けてくれる。とても素敵な国だと思いますよ。」

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 オジサンは嬉しそうにイスラームの事とかコソボの事とか一頻り話すと「もう行かなくちゃ。」と去っていった。いつしかプリズレンは日が暮れていた。途中通り過ぎたモスクのミナレットの上に、イスラームのシンボルの様な月が昇っていた。