旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ボスニアヘルツェゴビナ編サラエボその2

 サラエボ郊外にあるトンネル博物館を訪れた。このトンネルはセルビア軍に四方を包囲されたサラエボ市民の唯一の外界との接点となったトンネルだった。そう書かれた説明を鵜呑みにすれば、このトンネルはサラエボ市民の希望のトンネルでもあったと思える。勿論その役割を果たしたからこそこう書かれている。しかし一方、困窮するサラエボ市民から二束三文で買い叩いた電化製品をこのトンネルから外界に運んで大儲けしていた連中がいた事。このトンネルを使うには高額の金が必要となり、此処を通れない貧しい人々は、遮るものの無いトンネルの上にある空港を横切って外界に逃亡を試み、そして蜂の巣にされた事。この事実を知っていると、トンネル博物館を見学した後の感想も変わってくる。世の中には知っているかいないかで、大きく見解が違ってくる事が溢れている。

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 サラエボ中心部まで戻った私は、適当に街を取り囲む山を目指した。平和を取り戻したサラエボだが、ボスニアヘルツェゴビナはひとつの国の中にスルプスカ共和国と言うセルビア人が暮らす地域を内包している。即ち一か国の中に二つの国が存在する事になる。その両者は貨幣も言語も文字もバスターミナルさえ共有する事無く、分離して暮らしている。勿論旅人は両側を自由に往来出来るし、その国境線を知る事も無いが、現地の人だけが知る見えない国境線が其処に存在する。そしていつしか私はその国境線を越えていた。唯一解る手段は文字がラテン文字からキリル文字に変わる事だ。

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 見晴らしの良い場所で二人の男性と知り合った。サラエボ出身で日本に縁があると言えばサッカーのエビチャ・オシム氏、津波の話題、そんな話で盛り上がったが、話題が紛争になると私は動揺した。彼等がセルビア人なら彼の銃を射つジェスチャーは、「我々は此処から撃ち殺したんだ。」となるだろうし、彼等がボスニア人だったとしたら「此処から我々は狙撃を受けていたんだ。」と言う事になる。セルビア人もボスニア人も元は同じ南スラブ人、見分けはつかない。聞くわけにもいかない。相手がどちら側か解らないから返答のしようが無く途方に暮れた。ただひとつ解っている事。それは紛争さえ起こらなければ、二つの民族、そのどちらも素敵な人々だと言う事だ。

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 山から降りて夕方再び要塞跡を訪れると再び悪ガキ達と再開した。ふざけた会話を楽しみながらお互いに写真を撮っていたのだが、一番ヤンチャそうな青年が私のカメラを持ち逃げしてしまった。迂闊だったと思った反面、私には腑に落ちないところもあった。彼等は悪ガキには違わないが、人からものを盗む様な連中には見えなかった。

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 私は残された仲間達を捕まえ問い質した。仲間達も突然の事に動揺している様だった。私は必死なのを伝える為彼等に、善処しなければ警察に報告すると脅しをかけた。勿論警察に言ってもどうせ旅行中にカメラは返ってこないから警察に出頭するつもりは更々無い。しかし想像以上に彼等は慌てた。

「お願いだ。それだけはやめてくれ。我々は下にはいけないんだ。」

「じゃあどうする?それなら彼の家まで案内しろ!」

 と私が凄むと彼の居そうな場所なら案内出来ると言う。それには一抹の不安があった。もし彼等の行為が計画的なら、私からカメラを盗み、取り返しに来たところを誘い込み、それ以上のものを要求する。若しくは強奪するつもりなのかもしれない。しかし、私はそのチャンスに賭けた。私にはどうしても彼等がそこまでの悪とは思えなかったのだ。私は彼の先導の元、坂道をずっと登っていった。

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 迷路の様な坂道を登った空き地に彼の言った通り、カメラを盗んだ少年はいた。言い合いにはなったが、こうした時女の子の方が度胸が座っている。女の子が悪ガキからカメラをもぎ取って来た。しかし私はそれでは全てを信用しない。蓋を開けてみてやっぱりと思った。SDカードが抜かれている。私は言った。

「カメラはあげても良い。私はカメラ以上にデータが大切なんだ。返してくれ、勿論要求は聞こう。」

 幾らまでなら支払おうか…。等と思っていると以外な答が返ってきた。先程皆で写した写真のデータを消してくれと言うのだ。不思議な要求だが、データを返してくれるのなら依存は無い。真面目そうな私を此処まで連れてきた青年を立ち会いにして私はデータを消した。

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 カメラとSDカードが無事私の手に戻り、事態は解決した。真面目そうな青年が必死に起こった事を謝り、私を下まで見送ると言う。大丈夫だからと断ると、仲直りの握手がしたいと手を差し出す。勿論私に異存は無い。彼としっかり握手を交わし、他のメンバーともサヨナラを言って、サラエボの旧市街へと降りた。

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 サラエボの旧市街で夕食を食べながら私は起こった事を回想し、そしてある事に気づいた。私を悪ガキがいそうな場所まで案内してくれた真面目そうな青年は、私が警察に届けると言った時、想像以上に慌てていた。そしてその返答に「警察にはいけない。」では無く「下にはいけない。」と彼は応えた。そして彼は私を案内し坂をグングン上がっていった。そう其処はボスニアでは無くスルプスカ。彼等はセルビア人だったのだ。だから彼等は警察どころか下の世界には何処だって、行ってはいけない場所だったのだ。だから彼は警察では無く、下と言う表現をしたのだ。

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 では彼等の身元が判明したところで彼等の動機は何だったのか?彼等はボスニア領の要塞跡まで越境して降りてきて、日々ビールを飲んでは、はしゃいでいた。理由は悪ぶってる子供なら誰でも持つだろう冒険心だ。誰だって煩い親が見てないところで羽根を伸ばしたいものだし、行っちゃいけないと言われれば行きたくなるのが子供と言うものだ。そこで私と言う此処では珍しい東洋人と出逢ってついつい写真を撮り合った。でも未々彼等は子供、旅人とは言え越境して酒を飲んでる姿のアリバイを残してしまった事に怖くなってしまったのだろう。だから悪ガキは私からカメラを盗んだ。そして私が警察と言う言葉を発したものだから対応した真面目そうな青年は更に恐怖したに違いない。彼等はセルビア人。私が行くと言ったのはボスニアの警察。ただの盗みでは無く彼等にとっては国境を超えた窃盗になってしまうのだ。

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 事の顛末が明らかになると、とてつもなく重い現実を見せつけられたかの様な気持ちになった。彼等が生まれたのは紛争直後、未だ物心もおぼつかない年齢だったに違いない。そんな彼等に紛争後に残った両民族の軋轢が重くのし掛かっているのだ。彼等は今も見えない国境に怯えながら生きている。こんな若い世代まで…。もし、紛争が起きていなかったら、ふざけ合った写真を残せておけただろうに。でもひとつだけの救い。それは悪ガキがカメラを盗んだ理由がハッキリした事。やっぱり私の思った通り盗もうとして盗んだんじゃなかった。って事。

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 最終日となる翌日、私は再びサラエボを囲む山を登った。昨日の道とは違い、そしてその道は更に続いていた。此処はもうスルプスカ…。いや、もうそんな事はどうでも良いだろう。考えるのはよそう。今はただ目の前に拡がる美しい景色を堪能しよう。そしてこの街の平和を祈りたい。私は煙草を一服すると、そのパッケージを咲き誇る雑草の花畑に添えた。銘柄は聞くまでも無いPEACE、私の願いだ。天候の変わりやすいサラエボ、もう遠くで雷の音が響き、そろそろだよと私を促す。

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さようならサラエボ。私は空港のロビーで珍しくビールを頼んだ。その名はSarajevska Pivara。嘗て紛争時サラエボの名門のビール工場は攻撃を受け破壊され閉鎖されたが、破壊されこの工場から流れ出したビールを作る美味しい水が、紛争中の人々の生命の水になったと言う。そのサラエボの人々を救った命の水は私を夢幻の世界へと導いていった。

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