旧ユーゴスラビアを旅する完全版+クロアチア・ドブロヴニク編

重たい話題が先行してしまったが、キッパリ切り替えて11年に旅したドブロブニクの旅を紹介しよう。この旅では私はクロアチアの首都ザグレブから空路でドブロブニクに訪れた。機内の車窓からは分厚い雲しか見る事が出来なかった。ドブロブニクは海沿いの美しい街。此処だけは晴れて欲しかったので気が気でない空の旅だったが、一旦空港に着いてしまえばさっきまでの雲は何処へ言ったやら。空港からバスでドブロブニクに向かう最中にも美しいアドリア海の風景に心が踊った。

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ホテルは生憎新市街だったものの、其処へと向かう道中、断崖絶壁から見え隠れするアドリア海の美しさに鼓動が早くなるのを感じる。漸く旧市街まで到着したが、入りたいのをグッと抑えて旧市街の背後に聳えるスルジ山に登った。往きは楽してロープウェイを使った。このロープウェイは戦前からあったものだが、内戦時にセルビア軍に破壊されほんの数年前に(11年当時)修復されたものだ。ロープウェイの頂上まで行くと旧市街を真下に望む素晴らしい景色が広がる。だけど、真上からでは少々絵的に面白味に欠ける。

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だから降りはロープウェイを使わず車道をのんびりと歩いて降った。徒歩なら自分のペースで思う存分旧市街を眺められる。坂を降る度に少しづつ角度を変えたドブロブニクの旧市街の風景を堪能しながら降っていく。

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 そして海まで到達するとそこにはなんとビーチが広がっていた。その先にはドブロブニクの旧市街。みんな世界遺産を眺めながら海水浴を楽しんでいる。5月後半で泳げるとは思っていなかった。海パンを持ってこなかった事を酷く後悔した。

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のんびり風景を楽しみやっと旧市街まで戻ったが、未だ街歩きは御預けだ。先に旧市街を取り囲む城壁を歩いて一周し旧市街を眺める事にする。其処からはまるで橙色の絨毯を敷き詰めたかの様な旧市街の屋根瓦の展望を楽しむ事が出来る。そしてその向こうには紺碧のアドリア海が広がり青と橙のコントラストが眩しい。

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 ドブロブニクは小島だった部分と海に急激に落ち込む山肌とを埋め立てて出来たので山側の城壁はアップダウンが激しい。故に歩く度に角度が変わり、様々な角度から街の景色を堪能できる。海側の城壁には幾つか出入り口があり、其処は小さなカフェに繋がっており日本で言えばさながら海の家の機能を持っており城壁の岩場で海水浴を楽しむ人々がいた。

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約1時間の城壁巡りを終え、漸く街歩きを開始した。旧市街の門、ピレ門は外見こそ地味だが入ってみれば、其処が防護の策が厳重に施された門である事が解る。

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 其処から一直線に目抜通りプラッツァ大通りが走っている。因みにこの大通りから海側が小島だった部分で山側が大陸側となる。そしてこの大通りこそ埋め立てられた嘗ての水道だった部分である。現在では大通りには歴史的建造物、お土産屋やレストラン、そしてブランドショップが軒を並べ、世界各国から訪れた観光客で終始賑わいを見せている。

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この通りを境にして山側は旧な斜面となっており坂道が多い地域だ。大通りの裏道はどちら側にもオープンカフェや土産物屋がぎっしりと埋めるが奥に行けばやがて生活感溢れる地域となる。プラッツァ大通りに戻り、反対側まで歩みを進めると其処は港となっている。城壁に囲まれた港は雰囲気も抜群。港にはシーフードレストランが建ち並び、其処で食するシーフードリゾットは抜群だ。観光客向けのレストランは高いだけで…ってな事も多いが、此処はアドリア海を挟んで対岸はイタリア。食通のイタリアからの観光客も多いので、リゾットの味も定評がある。そんな一軒に日本人宛に日本語でこんな表示がされていて苦笑いした。

「リゾットは芯を残すのが本場の料理法です。」

日本のご飯は芯を残さないのが普通なので、クレームを入れる日本人が多いのだろう。恥ずかしい話だ。

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この街を訪れる大型観光船は新市街の大きな港に停泊するが、小さな観光船はこの港から出港する。折角なのでグラスボートに乗り込んだ。アドリア海の透明度は高いのでグラスボートの活躍する格好の場所ではあるのだが、海の底より美しいドブロブニクの街が気になって、折角のグラスボートの機能もあまり効果を発揮していない様だが、それだけドブロブニクの風景が美しいとも言える。乗客一同海の底より街の風景に釘付けだった。海から眺めると、殆どの家屋は城壁に隠れてしまう。それほど高く作られた城壁が、如何に堅牢な防御体制がこの街に必要だったかを今に伝えている。

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 ドブロブニクは嘗てラグーサ王国と呼ばれた王国だった。宗主国を転々と変えながらも常に自治権を獲得し海洋交易で栄えた王国。それ故の鉄壁の防御対策こそこの堅牢な城壁だったのだ。目の前に拡がるアドリア海、と旧市街を眺めながら過ぎ去った時を想う。嘗てこの海を行き来した海洋交易、それはやがてアドリア海の最新部ヴェネチアへと続き、そしてヴェネチアにもたらされた莫大な富はやがてヴェネチアルネッサンスを開花させる。アドリア海、この道はルネッサンスの通り道だったのだ。

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ボートから降り小さな灯台の下で一休み。再び旧市街の散策を始める。公式では無い様だが、この街はジブリの名作「魔女の宅急便」の舞台であると言われている。成る程野路裏を歩けば街角からキキが箒に乗って現れても不思議では無いと感じる街並みでもある。しかしこんなドブロブニクも90年代にはセルビア軍に包囲爆撃を受け徹底的に破壊されてしまった。現在ではそんな痕跡を殆ど見かけないのも、これだけ観光客が訪れ落としていった金の賜物だ。

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この様な海沿いの街とは大きく事なり、観光資源的に乏しい内陸部の元紛争地の国々の復興の遅さを見てしまうと、複雑な心境にもなる。しかし、それを差し置いても、この街の魅力には抗い難い。この街の辿った中世からの歴史、そして激動の近代史、そして明媚な風景、それを様々な角度から楽しむ事が出来る点。そして美味しいシーフード。トドメにマリンリゾート。歴史好きにも、ただ単に美しい街が好きな人も、リゾートを楽しみたい人も、唸らせてしまう。ドブロブニクはそんな街だった。

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 さて、これまでプドヴァ、コトル、そして此処ドブロブニクアドリア海に沿った美しい街を紹介してきたが、そのいずれも海に突き出したかの様に街が出来ている。いや、此処だけでは無くこれから訪れるイストラ半島の街も元々海に突き出した半島であったり人為的に島と大陸を埋め立てて半島となった部分に街が作られている事が殆どだ。

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 大陸の部分にだって土地は幾らでも余っているのにわざわざ何故彼等は海に突き出した部分に暮らしたのか?それは此処がヴェネツィア領だった事、そしてヴェネツィアオスマントルコと争い合っていた歴史に起因する。

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 先に述べた通りヴェネツィアは伝統的海洋国家で強力な海軍を保持し海軍力ではオスマントルコを圧倒する。一方オスマントルコ帝国は兵士数では都市国家に過ぎないヴェネツィアを遥かに圧倒し、陸軍に於いてはヴェネツィアは全く歯が立たない。しかもオスマントルコバルカン半島の内陸部をほぼ掌握していた。オスマントルコは海ではヴェネツィアに叶わないから内陸から沿岸のヴェネツィア配下の都市へと侵攻する。コトルの城壁が山側にしつこい程張り巡らされていたのはその為だ。

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 しかし、陸地に城塞都市を作っても強力なオスマントルコ勢力には敵わない。だからヴェネツィア配下のアドリア海の都市は、半島に突き出した部分に街を築いたのだ。こうしておけば街の三方はオスマントルコを圧倒するヴェネツィア海軍に守って貰えるからだ。

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 アドリア海沿岸の街にこうした特異な景観の街が数多く出来たのは、ヴェネツィア主導によるオスマントルコの攻撃から防衛する為の街造りだったのである。