旧ユーゴスラビアを旅する完全版+コソボ・ペーヤ編

本日はプリシュティナからペーヤと言う地方都市に移動する。ペーヤにはコソボに取り残され世界遺産となったセルビア正教の教会のうち二つが残る。ペーヤからバスを乗り継いで先ずデチャニ修道院を訪れた。

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小さな村から長閑な道をテクテク歩けば、長閑な風景に似合わない石の塊のバリケード

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 それを過ぎると山羊の大群とそれを操るまるで昔話から飛び出してきた様な羊飼い。

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 そしてその向こうに、その風景に全く似つかわしくない装甲車。

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 その先のゲートでパスポートを預けタグを受けとる。

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 パスポートと引き換えにしなければ教会の見学すら叶わない。この地に於ける憎悪の念が決して昔話では無い事を物語っている。

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複雑な作りのビザンティン様式で築かれたグラチャニツァ修道院に比べ直線を多用したデチャニ修道院はシンプルな美しさを持つ。そして私はもうひとつこの修道院を訪れたい理由があった。この修道院にはウロシュ3世の柩があり、ウロシュ3世は病気を治癒する霊力があったと信じられ、彼の柩を触ると病気が治ると信じられていると言う。 私の親友のワンちゃんが進行性の癌と闘っている。そんな彼の為にどうしてもこの教会で祈りたかったのだ。

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(写真のワンちゃんは現地で出逢ったワンちゃん)
ペーヤに残るもうひとつの世界遺産の教会は、ペーヤ郊外に残るペーチ総主教座修道院、ペーチとはペーヤのセルビア語読み、この修道院を信仰しているのはセルビア人だから、彼等の読みで表記した方が正解だろう。総主教座とは正教に於けるその国の最高権威。つまり此処に総主教座が置かれたと言う事は、一時期ペーチ(ペーヤ)はその当時のセルビアの首都、若しくはそれに近い都市だったのだ。それがコソボ問題に大きくした要因ともなっている。今となってはアルバニア人が多勢のコソボだが、セルビア人にとっても失う訳にいかない聖地だったのだ。

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再びペーヤの市街に戻った。旧市街の中心のモスクを中心にバザールが広がっている。売り物は観光向けは少なく地元密着型だ。そこで一軒の食堂に入った。頼んだのはプレスカビッザ。バルカン半島版ハンバーグだ。先日紹介したケバブチチとプレスカビッザはバルカン半島のファーストフードの東西の横綱。食事は早くて安けりゃ満足の私にとって上記の2品があれば大満足、無ければ切り売りのピザで補填した。

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その安食堂、プレスカビッザに付け合わせの野菜、パンまで付いて1ユーロ。おまけにジュースも1杯無料でサービスしてくれた。思わずそれだけ安く提供してくれるのだから、せめて飲み物で儲けなくてどうするんだ?と不安にさえ思ってしまう。そしてこれだけ安いと言う事は、いったい彼等の稼ぎはどれだけなんだろう?と思うと哀しくなった。

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 バルカン半島の旅は北上する、つまり西側諸国に近くなる程物価が上がる。そして物価が上がるもう一つの要因に海岸沿いと言うファクターがある。世界の大抵の場合、内陸国より海岸線を持つ国の方が裕福である。今でこそ飛行機と言う手段があるが、今も尚、昔なら一層の事、港があると言う事は貿易が栄え様々な物資、それだけでは無く文化が行き来したからだ。

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 此処バルカン半島では不幸な事に大きな河川が無く、道路事情も悪かった為、海岸線の街と内陸の街のアクセスが悪かった事もあり、内陸部と海岸線の街では発展の程度に極端な差があった。現在では観光資源と言う格差もそれに上乗せされる。コソボの様に紛争を体験した国は更に復興と言う足枷さえ加わってしまう。連邦からそれぞれの国が独立を果たしたが、其処から立ち直る為に大きな格差が生じている。

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 クロアチアドブロブニク、続いて訪れるモンテネグロの海岸線の観光都市と此処コソボの物価を比べれば、ほんの十数年前まで一緒の国だったとは到底信じられない物価の格差がある。親身に接してくれるコソボの定食屋さんの兄ちゃんと、そこからそれほど離れてはいない海沿いの観光都市の観光客向けレストランで働く無愛想なウェイター、同じ労働でもコソボの兄ちゃんは十分の一以下の報酬に違いない。人は生まれる場所を選べない。ちょっとやるせなく感じた。