やりなおしの旅私的ロマンチック街道ロヴィニその2

ロヴィニ滞在三日目、朝から幸せは確定されている。なんと言ってもこの光景、ベッドにいながらにしてアドリア海を眺められる。

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 朝イチに大好きな角度からロヴィニを眺める。今日一日はロヴィニを思う存分楽しむ事にしよう。

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ロヴィニはとても小さな街。半島は30分程もあれば歩いて一周できてしまう。しかしそっれでは余りに勿体ない。それどころかワンシーズン、いやずっと住んでいたく感じる街だ。

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 先に述べた通り、ヴェネチア領のアドリア海沿いの街は防衛の観点から半島状に立地した街が多いが、その中でもロヴィニが美しいのは、島だった頃、その島が円錐形の島であるから、何処から見てもピラミッド状にヴェネチア様式の建物が連なっているからである。その頂点に建つのが聖エウフェミヤ教会とその尖塔であり、ロヴィニの美観に無くてはならないものになっている。

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 しかしこれだけ建物が密集したのは、計画的な事だったのでは無く、ペストの猛威に恐れた民衆が、大陸から当時島だったロヴィニに避難したからだと言うのが驚きだ。

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 そんなだからロヴィニは南北、どちらの波止場から眺めても美しいのだけど、前回私は時間が無く、慌てて回った為一方しか見ずに満足してしまった。そして今回のやりなおしの旅と言う訳だ。

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 それでもただの絶景ならこんな小さな街に三泊は贅沢過ぎると言うものなのだが、ロヴィニは絶景だけでは終わらない。その路地裏歩きも楽し過ぎる。ツルッツルに削れ丸くなった石畳の道、柔らかい色合いの古びたヴェネチア建築、そして坂道が多く曲がりくねった路地裏。

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 そして路地裏とセットになっているのは勿論猫ちゃん達。

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 でもロヴィニは小さな島だから、幾ら路地裏が好きだとしても限界がある。しかしロヴィニの魅力はそれだけでは無い。前回もお話ししたが、くどい位にお店のディスプレイが可愛過ぎる。

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(つい大人買いしたくなる。)

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(結局小さなロヴィニを購入)

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(そして連れ歩く)
 普通お土産屋と言うものは、世界共通これでもか!と言わんばかりに商品を並べているもので、そしてただただパワー陳列なのがお約束なのだが、ロヴィニは違う。そしてそれがどの店もなのだ。

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 どうやらこうした美しい街に芸術家が多く移り住んだのだそう。成る程街には規模に対してアトリエが多い。こうした気質が一般の店にも影響し、まるで来そう様にディスプレイにこだわる店ばかりになったのだろう。

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 ロヴィニのディスプレイだけで一冊の写真集ができてしまいそうである。

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そんなメインストリートを登り詰めた場所、すなわちロヴィニの天辺に聖エウフェミヤ教会がある。その昔若くして殉教した女性の聖人で彼女の遺骨が納められていると信じられている由緒正しき教会だ。

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その尖塔に登る事が出来るのだが、年代物の螺旋階段をひたすら登るので、高所恐怖症の人には辛いかも知れない。

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 でも眺めは保証付きだ。

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 教会には滞在中幾度か訪れたが、なんと騒がしいと思ったら結婚式に出くわした。こんなロマンチックな島なら私も結婚したくなったかもしれない。

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 そして観光に欠かせないのは食事。前回は一ヶ月と言う長丁場の節約の為切り売りのピザばかりで済ませてしまったが、ロヴィニでそれは勿体ない。海が目の前、当然シーフードが抜群に美味しい。しかも味に煩いイタリアからそれほど離れていない為、料理の味も保証された様なもの。

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昼食はイカフリット。夕食は蛸サラダに蛸のグリルを頂きました。

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 そんなこんなでロヴィニを満喫、あっという間に三日間は過ぎてしまった。この街は何日いても飽きない。飽きてしまったら目の前のアドリア海に飛び込めば良い。

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 そして一日の終わりは夕陽が映える。ロヴィニの夕焼けもまた素晴らしい。季節によって沈む位置も違うだろうから一年位は暮らしていたいものだとつくづく思う。

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 そして夕焼けだけじゃ終わらない。その後のロヴィニもとっても素敵だ。

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 本当にやりなおして良かった。やりなおしてなかったら後悔の人生を歩んでいたかも?本当そう思わせてくれたロヴィニ滞在となった。

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やりなおしの旅私的ロマンチック街道4ポレチュとプーラ

 朝、波の音と潮風に起こされる。何て言う幸せな事だろう。早速宿を飛び出し宿が見える側の波止場へ向かった。

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 前回時間が無くて此方からのロヴィニの風景を見損ねてしまった。それが悔しくて、それが引き金になってやりなおしの旅に出た。

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 そして今、その見逃した海側に建つ宿に泊まり、そして見たかった側の風景を眺めている。なんて幸せな事だろう。

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 前回例え訪れたとしても昼過ぎだった故、太陽光線は宜しくなかった。

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 此方からロヴィニを眺めるなら朝陽が当たる朝に限る。だから昨日は敢えて此方側から写真を撮らなかった。

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 漸くこの景色を堪能出来る。ただ眺めるだけじゃ足りず波止場を遥か向こう岸に見える場所まで散策して海から眺めるロヴィニを堪能した。

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 その後、昨日より天気が崩れそうだったので、ロヴィニの左右に点在する歴史ある街に足を延ばした。

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 先ずロヴィニからスロヴェニア側に小一時間の距離にあるポレチュ。此処もロヴィニの様に海に突き出した格好をしている。どうしてこうした街が出来るのだろう?

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 それはロヴィニやポレチュがヴェネツィア共和国の支配を受けていた事に関連する。オスマントルコ帝国が台頭するとヴァルカン半島内陸部の殆どはオスマントルコの領土となった。

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 そんな時勢、ヴァルカン半島のヴェネツィア共和国の領土の街は常にオスマントルコの驚異に曝される事となる。しかし陸上ではヴェネツィアを圧倒するオスマントルコだったが、海上ではヴェネツィアが有利だった。

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(以下聖エウフラシウス聖堂
 故に街の三方が海に突き出た半島に彼等は街を築いたのだ。いざと言う時は陸側の城門を閉じ立て籠れば、海からヴェネツイア海軍が救ってくれるだろう。

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 さて、そんなプーラの一番の見所は世界遺産にも認定された聖エウフラシウス聖堂だ。この教会がどうして世界遺産に認定されているかと言うと、その教会にある絵画だ。

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 東方正教会は一時期、原点回帰の方針から、偶像を好まず、その当時多くの宗教画が破壊されてしまった。しかし東方正教会カソリックの境界に建つこの教会は、ギリギリのタイミングで正教会を離脱した為、当時の宗教画が残された貴重な教会となっているのだそうだ。

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 ポレチュの街を散策した後は一旦ロヴィニを通り越して、今度はロヴィニからザグレブ寄りに移動、プーラの街を訪れた。此処はロヴィニがあるイストラ半島の中心となる街で空港もある大きな街なのだが、街にはローマやチュニジアのエルジェムにも匹敵する規模のコロッセオが残っている。

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 他に旧市街の入り口にはローマ時代の門が複数残されていたり歴史を楽しむ事が出来る。

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 そんな二つの街を散策し再びロヴィニに戻った。

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 ロヴィニには生憎世界遺産コロッセオも無いが、何分この絶景がある。海から眺めて良し、路地裏を歩いて良し、明日は存分にロヴィニ浸りな一日としよう。

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やりなおしの旅私的ロマンチック街道ロヴィニその1

 プリトビツェを訪れ一旦ザグレブに戻った翌日、これからこそ本当のやりなおしの旅。向かうロヴィニこそやりなおしの旅の最大の目的でもあった。前回余りにも短い滞在に未練タップリ、今回の旅となった。

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 ロヴィニは小さな街、バスステーションから旧市街のメインとなる半島部分までの通りはまるでディズニーランドのメインストリートにも勝るとも劣らない明るい雰囲気に満ちている。

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(緑の窓のある建物の3階、窓の開いている部屋)
 半島部分に入って先ず予約しておいたアパートメントの鍵を受けとるべく家主と連絡を取った。海沿いの歴史ある建物の一室を旅人用のアパートメントとして貸し出しているのだが、たった一室、予約できたのがまるで奇跡だ。

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 自分専用の階段を昇って楽しみにしていた窓からの景色を眺め絶句。反対側の勝手から見下ろす旧市街の石畳の風景も最高だ。

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 唯一欠点を挙げるとすれば此処がロヴィニでも有数の撮影スポット。窓を開ければ誰かが必ずカメラを私に向けて(私の部屋の邦楽に向けて)構えている。だから在らぬ格好で窓を開けようものなら、旅人の思い出の写真になる筈がR18の写真になりかねない事だ。シャワーを浴びた後海風をあたろうとするのは危険な行為になってしまう。とは言ってもこれから三泊、まるで夢の様な日々が始まりそうだ。

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 いつも以上に部屋で寛いだ後は旧市街の散策に出掛ける。ヴェネツィア共和国の影響をもろに受けた建物に囲まれた石畳の道は、それだけでも十分雰囲気があるのだが、この街の特色はそこに並ぶ店のディスプレイの質がとても高い事に驚かされる。

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 一件だけなら未だしもどの店のディスプレイも総じて質が高い。ウインドーショッピングなんてする柄では無いのだが、思わず一件一件じっくり眺めながら「可愛い!」を連発してしまう。良い年の親父をロマンティックにしてしまう。ロヴィニはヤバい街だと言える。

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 ウインドーショッピングの合間に海沿いのレストランでイカのグリルを頂いた。とても柔らかい。

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 食後には港に出てロヴィニを眺める。私を惹き付け再訪させた景色が其処に広がっている。

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 お店が無い住宅街の路地もロヴィニは素敵だ建物と建物の間に干された洗濯物さえ芸術に見える。

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 路地裏では地元のオジサン、オバサンが立ち話に花を咲かせる。そんな光景さえ絵になる街だ。

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 夕方になりサンセットツアーのボートに乗った。ボートから眺める夕焼けは格別だったが、ボートが一時騒然となった。気がつけばイルカの登場だった。ロヴィニ周辺はイルカが多いらしく、夕焼けとイルカウォッチングのツアーだとの事。

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 ロヴィニに戻り、暮れ行くロヴィニを堪能した後、切り売りのピザでは無くしっかりシーフードを頂いた。確か鱸だった筈だ。その後の夜のロヴィニの路地裏も素晴らしかった。

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 その夜余りの嬉しさに窓を開ける事無く波の音を聞きながら夜を過ごした。明日は周辺の街も散策する。

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やりなおしの旅私的ロマンチック街道2ザグレブ

さて、本格的にやりなおしの旅が始まった。まず第一番目はプリトヴィツェ国立公園。大小の湖が段々畑狀に連なる風景が素晴らしい。

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 私は前回あまりの混雑に絶景スポットを見逃してしまった。今回も生憎曇り空だが、公園内に入場してすぐ見えてくる光景にテンションが持ち上げられる。

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 公園内に点在する見所は大抵計画的にコース内を巡回していれば網羅できるのだが何故か目指す絶景ポイントはコースから外れている。だから旅サイトでは自慢気に其処への行き方を紹介している事が多いが、現在となっては携帯アプリmaps.meで簡単にナビゲートを受ける事が出来る。

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 その絶景スポットは野村不動産のCMで放送され有名になった。乾期である夏場は水量が少ない為CM程の迫力は無いが、公式のコースから外れている事もあり観光客も少なく、混雑している公園内で自分だけの場所を見つけたと言う達成感がある。

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 しかしこれでは他人に勧められた場所、その帰り道、気づけば其処は大滝の降り注ぐ場所。危うい足場を下って滝が降り注ぐ絶壁に急接近した。滝の迫力は勿論、滝壺から滝を見上げる多くの観光客を見下ろす気分は、神視点の様で清々しかった。

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 その後は二ヶ月前に訪れた場所をもう一度ゆっくり再訪する事にしていた。

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 私的な公園内の一番の絶景スポットを堪能し、公園内のレストランで名物の鱒のグリルを頂き

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 後はどうしよう?と思ったら、今朝公園に向かう途中で見つけた可愛らしい村を思い出した。どうやらのんびりとはいかないらしい。

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 慌てて公園を後にしてラストケ村と言う小さな村を訪れた。此処はミニ・プリトヴィツェとも呼ばれている。村の中に川が流れ、そして村の中に滝がある。まるでプリトヴィツェの中に村が出来てしまったかの様な村なのだ。

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 一時期それを知った観光客が押し寄せ、小さな村が大変な騒ぎとなってしまった為、入場料を徴収する事となっていた様だが、現在では村内の共同スペースは自由に出入り出来るが、村の中央の風光明媚な部分に村の歴史の展示等も含め有料の観光施設を用意している。

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 小さな村に押し寄せる大量の観光客…。日本の京都等でも問題となっているが、地域に暮らす人々とキャパシティを越えた観光客の問題。この村が余りにも小さく、そして余りにも現実離れしている世界観が故に起きてしまった問題。その難しさを垣間見た気がした。

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 しかし私が訪れた時期や時間が良かったのか、のんびりとこの穏やかな、そして物語の中に入り込んでしまったかの様な村を散策できた。うっかりしていたら通り過ぎて、またまたやりなおしの旅をする羽目だった。

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 ザグレブに戻り夕食を摂った。地域らしい食材をと言う事でザグレブ風カツレツを頂いた。昨日はケバブチチ、これもクロアチアでは良く食べられるが、これは元々ボスニアコソボでも良く食べられるイスラーム発祥の料理、一方カツレツはオーストリア帝国発祥の料理、ユーゴスラビアと言う地域が如何に多文化な地域であったかを料理が雄弁に物語っている。

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プリトヴィツェ
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ラストケ村
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やりなおしの旅 私的ロマンチック街道1ザグレブ

 さて、順番が逆になってしまったが、昨年9月に旅したザグレブからヴェネツィアの旅を紹介したいと思う。Yahoo!ブログの引っ越し関連で、更新速度の遅い私だと引っ越しに絡んでしまうかもしれませんが、進めようと思います。

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 そもそもこの旅は昨年6月に旅したルーマニアから始まった東欧の旅の最後の部分、ロヴィニからヴェネツィアの部分にやり残しを感じ、やり直した旅だ。直接の要因はロヴィニ。時間が無く半日しか滞在しなかったがとても印象的な街だったのにも関わらず、私とした事が半島状の街を片側からしか眺めておらず、絶景でもある反対側からの眺めを堪能せずに帰国してしまった事が悔しくてならなかった。

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ザグレブの中心イェラチッチ広場)
 旅も終わりに近づいて集中力が衰えたか、近くのピランやプリトヴィツェでもやり残しを感じていたのでザグレブ~ヴェネツィア間のやり直しを決めたと言う訳だ。

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 と言う訳で二ヶ月前に訪れ、最早土地勘たっぷりのザグレブのメインバスステーションでお決まりの切り売りのピザを食べながら私のやり直しの旅は始まった。折角のやりなおしなのに空は生憎の雨模様。

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(聖母被昇天大聖堂)
 とは言え此処はザグレブ。何処と無くお伽噺に紛れ込んでしまったかの様な可愛らしい街並みは雨の日でも美しい。

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(聖母被昇天大聖堂の城壁)
 いつになったら完成するやら解らない修復中の聖母被昇天大聖堂の周囲には頑丈な塀が囲っている。それはオスマントルコの襲撃に備えたものだと言う。現在では想像しがたいが当時のオスマントルコの勢力はこの地も脅かす程広大なものだった。

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(聖マルコ教会)
 もうひとつザグレブで忘れられないのが聖マルコ教会、赤白青のモザイク模様の屋根が愛らしい。その教会のすぐそばから聖母被昇天教会を眺められるスポットには恋人達がかけた南京錠がびっしりとかけられている。

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 ザグレブの旧市街は新市街より一際小高い丘の上にあり世界一短いと言われるケーブルカーで繋がっている。その下に以前は無かったビルの高層に街を見渡せる展望台が出来たと言うので昇ってみた。

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 街がインフレしているのか、ガイドブックの情報が遅いのか、ガイドブックに書かれていた料金の倍額に恐れをなしたものの、係員の美人のお姉さんに反論も出来ずエレベーターを昇る。曇ってはいるものの夕暮れ時のザグレブの展望を楽しんだ。

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 勿論ザグレブの展望も素敵だが、いつしかNゲージみたいに見える街を行き交うトラムを見るのが楽しくなってしまい必死でカメラでトラムを追い続けた。そんな私に感化されたのか若者達のグループもトラムを追い続け、いつしか撮り鉄軍団の様になってしまいおかしかった。

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 ひとしきり夕暮れのザグレブを楽しんだ後は夕食だ。前回食費軽減の為殆どの食事を切り売りのピザで済ませてしまったので今回はもう少しマシな食事を摂る事も旅の目的のひとつとした。

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 今回のまず初めは東欧の代表的な料理のひとつケバブチチを頂いた。さて明日はやりなおしの旅の第一段、プリトヴィツェ国立公園で、前回見落とした絶景スポットを探しに行く。

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モーリタニア旅行記最終回

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 モーリタニア最後の朝が来た。奇しくも元旦、それも平成最後となる初日の出をモーリタニアで迎える事となった。

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 砂漠に昇る初日の出は最初こそヘイジーだったが昇ってしまえばアフリカ独特の強烈な陽射しにすぐ戻った。

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 朝食にはなんとお節料理。今時の添乗員さんはとても大変だと思う。ツアー慣れした観光客に喜んで貰える様にあの手この手の気遣いを求められる。ツアー慣れしていない私はビックリ仰天だ。

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 とは言え今回の添乗員さんは、添乗員さんも旅を楽しんでいるのが伝わってきて、事務的な事が微塵も無く素敵な添乗員さんだった。この場で感謝したい。

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 途中この旅最後となる砂丘で一服を取りこの旅最後の目的地となるバンダルガン国立公園と向かった。この国立公園は様々な野鳥が集まる事で世界遺産にもなっている。

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 桃色フラミンゴ、カモメ、ペリカン…多くの野鳥が羽を休めるその光景は、今まで生き物は愚か水一滴さえ見つからない砂丘を旅してきた私にとって正に楽園そのものだった。

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 そして美しさは野鳥だけでは無く風景も負けていなかった。

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 海水だと言うのになんと言う透明度。波打ち際が解らない程である。そして海底にも風紋がある事に驚き、そして感動した。

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 国立公園を後に我々は首都ヌアクショットに向けて波打ち際を疾走した。車に驚き飛び立つカモメの群れ。何処か映画で見た様な光景。

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 最後に一人づつ今まで旅を支えてくれたスタッフと記念写真を撮った。座っているだけで腰が痛くなる長い過酷なドライブを終えても我々のガイド、テント設営、そして料理と休む事無く我々を支えてくれた最高の面々の最高の笑顔に囲まれた。

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 ヌアクショットに到着し海沿いの市場などを散策し我々の旅は終わった。翌日早朝モーリタニアの朝陽に見送られ我々はモーリタニアを飛び立った。

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 モロッコサハラ砂漠の広大さに驚き、そしてそんな砂漠を渡っていった古のキャラバンに驚愕し、それは私をマリ・トンブクトゥへの旅へ誘った。

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 スタートとゴール、その二つを知った今。そのメインとなる砂漠の世界を体験したいと思った。ウアダン、そしてシンゲッティ。サハラ交易の中継貿易都市として栄えたそんな街を訪れたい。そんな想いでやってきたモーリタニアだったが、ツアーに参加した事もあり、一人では訪れられなかっただろう幾つもの砂丘を訪れる事が出来た。

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 サハラ砂漠はアフリカ北半分を覆う広大な砂漠だが、そんな中でもサハラ砂漠を満喫出来る国は数少ない。そんな国の筆頭がモーリタニアであるだろう。

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モーリタニア旅行記10大西洋到達

 ベニシャブ砂丘の夜が明けた。

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 平成最後の朝焼けもまた、約束されたかの様に美しい朝焼けだった。この旅で風紋がある本格的な砂丘は此処が最後。心残り無い様に早起きしてもう一度砂丘を散策した。

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 その後我々を乗せた4WDはひたすら西を目指した。途中小さな村を通り抜け、井戸で生活用水を補給し再び西へ。

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 そんな先に辿り着いたのは大西洋。ひたすら砂漠が続く大地を走り抜けて来たので目前に広がる海の青さにただただ感動する。

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 海辺の村は漁師の村。モーリタニアの人々は殆どが遊牧民出身なので、漁村はセネガル系の人々が主体だ。セネガルやマリの人々は原色の使い方がとても上手い。そんな色使いが船の柄にも良く表れている。

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 そこから波打ち際を4WDは北へ北へと疾走した。波打ち際を疾走する。

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 映画なら良くある光景だが、実際となると結構非日常的体験だ。車に驚いて飛び立つカモメやペリカンも愛らしい。

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 途中幾つか砂丘を越えて、一際小高い砂丘で我々はこの旅最後のキャンプを張った。砂丘の眼下には紺碧の大西洋。さすがツアー、サハラ砂漠をこれでもかと堪能した後に大海原を見せてくれるとは芸が細かい。

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 そんな砂丘から海を眺めたり、ガイドさんが入れてくれるミントティーを楽しんだ後、我々は漁村を訪問した。漁村にビッシリと並べられているのはなんと蛸壺。

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 モーリタニア人は蛸を食べない。(ユダヤ教イスラームは戒律から鱗の無い魚は食べない。)だが、此処の海は蛸が豊富に捕れる。だから産業の少ないモーリタニアの為に日本人技術者がモーリタニア人に蛸壺漁を教えた。

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 最初こそ中々根付かなかったが、商業的価値が浸透し、今では東欧を始め蛸を食べる文化のある国々から需要が急増。日本のスーパーで売られている輸入の蛸は殆どがモロッコモーリタニアが占めている程となった。

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 蛸が日本とモーリタニアを繋いでいるのだ。

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 そんなこんなで漁村で時間を結構使ってしまった。

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 漁村での夕景も素晴らしかったが、やっぱりあの砂丘の高台から投げめたい。

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 焦る私を他所のドライバーさんは途中キャンプの必需品を見つけては所々で寄り道をするのでハラハラさせられたが、すんでのところで砂丘に到着。

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 静かに、穏やかに、平成最後の陽が暮れていく。感無量だった。勿論その後は漁村で手に入れた蛸をご馳走になった。こうして平成最後の年越しは大西洋の波音を聞きながらテントで過ごす事となった。

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