シルクロードを西へ!トルコ編イスタンブール7
新市街と言っても歴史は古く、コンスタンティノープル時代の城壁街を便宜的にそう呼んでいる。新市街に入り急坂を登ると三角屋根の塔、ガラタ塔に着く。この一帯はコンスタンティノープル時代、此処をオリエント交易の拠点としていたジェノバ人の居住区となっていた。彼等が古くから建つ塔を補修し建て直した塔にガラタ塔のルーツがある。
現在では金角湾を挟んでイスタンブール旧市街を一望する事が出来るこの塔は行列が出来る観光スポットであると共に、イスタンブールを紹介するパンフレットの写真にも多用される構図ともなっている。最上階はレストランとなっており、夜になるとベリーダンスのショーが催される。
新市街の目抜通りイスティクラル大通りを抜け、ボスフォラス海峡沿いに降りて、ドルマバフチェ宮殿に向かった。ドルマバフチェ宮殿はオスマントルコ後期にトプカプ宮殿に代わる宮殿として建てられた新しい宮殿で、ヨーロッパの要素をふんだんに取り入れ作られた。豪華なシャンデリア、家具、絨毯…我々がイメージする宮殿そのものだろう。現在でも迎賓館として利用され、観光客は決められた時間にツアー形式で観覧する。
ボスフォラス海峡沿いを北に向かうと海峡沿いに小振りだけど美しいモスクが建っている。これもオスマン帝国後期にバロック様式で建てられたオルタキョイ・モスクだ。その背後には巨大な橋が架かっている。日本も大きく貢献したボスフォラス大橋だ。
(ドルマバフチェ宮殿)
私はアジアとヨーロッパを結ぶこの大橋を自分の足で歩いて見たかった。行き方をホテルの兄ちゃんに尋ねると、ビックリ顔で彼は言う。
「お客さん!自殺でもするつもりっすか!」
驚くのは此方の方だ。良く聞けば、ボスフォラス大橋は自動車専用道路であり、しかも自殺の名所であるらしい。
(オルタキョイ・モスクとボスフォラス大橋)
バスに乗って更に北を目指した。もう一つの大橋が架かる少し手前、ボスフォラス海峡の幅が一番狭まる場所に、海峡の両側に要塞が建てられている。ヨーロッパ・サイドをルメリ・ヒサル、アジア・サイドをアナドル・ヒサルと呼ぶ。
この要塞はコンスタンティノープル陥落を狙うオスマン帝国のメフメッド2世がその拠点として建造したもの。要塞の塔に登って遥か南方、即ちイスタンブール旧市街方面を眺めた。きっと彼はこんな気持ちで眺めていたに違いない。
「いざコンスタンティノープルに出陣!」
暫し歴史のロマンに浸った後、私は再び旧市街へと踵を返した。尚今回紹介したドルマバフチェ宮殿、オルタキョイ・モスク、ルメリ・ヒサルは全てボスフォラス海峡沿いにある。ボスフォラス海峡をクルーズする観光船に乗り、違った角度から眺めるのも乙なものがあった。
しかし観光船より楽しいのが地元っ子の足となっている一般のフェリーだ。幾つも路線があって頻繁に出発し、様々な角度からイスタンブールを眺められ、更に安い。そんな渡し船であるフェリーに乗ってアジアサイドに渡った。アジアサイドには主だった見所こそ無いがイスタンブールの庶民の雰囲気を味わえる。此処でもイスタンブールの見晴らしを楽しめる丘へと登った。帰り際、ウスキュダルと呼ばれるアジアサイドの港からイスタンブールヨーロッパサイドを眺めれば、なんとも言えない感情が巻き起こる。
此処でアジアが終わり、そしてヨーロッパが始まる。