シルクロードを西へ!トルコ編イスタンブール6

 テオドシウスの城壁からトラムに乗って旧市街の歴史地区近辺まで舞い戻る。そこから急坂を登っていく。イスタンブールは多くの港街がそうである様に、坂道が多く、七つの丘を持つ街とも呼ばれている。その旧市街に一番近い丘の頂上に、オスマン帝国一と呼び声の高い建築家スィナンが建てたスレイマニエ・モスクが聳えている。
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 イスタンブールで最も有名なモスクはブルー・モスクに間違いないが、一番印象に残るモスクはスレイマニエ・モスクかもしれない。丘の頂上に建っているので、何処からの風景にもアクセントとなるからだ。勿論名建築家が建てただけあって、モスク自体も壮麗なものだ。また丘の上だけあって此処からの景色も忘れられない。
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 またモスク周辺は職人の多く暮らす場所だ。私は友人の贈り物を買う為に、グランド・バザールで下見をして、此処にそれを求めに来た。此処の職人達も作品をグランド・バザールに納めに行く。なら此処に直接求めた方が安上がりだし、制作者から直に買えるのも嬉しい。
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 私が買ったのはトルコ・コーヒーのセット。トルコ・コーヒーは数杯分沸かせる小さな鍋で粉毎煮込み、エスプレッソ程の小さなカップに注ぎ、その上澄みを嗜む。あてにロクムと呼ばれる羊羮の様な菓子が添えられる事が多い。
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 余り知られてはいないが、コーヒーはイスラームに所縁のある飲み物だ。エチオピアで発祥したコーヒーは、モスリムによってアラビアにもたらされた。貿易港となったイエメンのモカは今でもコーヒーの有名な銘柄の一つだ。
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(エミノニュ港から見上げるスレイマニエ・モスク)
 しかしアラビアではコーヒーは高貴な人々の飲み物に留まった。飲用するのも専ら薬用としてで、コーヒーに多くの香辛料が加わる。今もその伝統が残り、私も試した事があるが、コーヒーと言うより薬に近い。
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 そんなコーヒーがトルコに伝わり庶民にも飲まれる様になり、トルコ・コーヒーが完成する。オスマントルコはやがてバルカン半島を手中に納め、時にハプスブルグ家のウイーンを包囲する事となる。こうした戦争を発端にしてコーヒーがヨーロッパに伝わった。最初は敵国の飲み物なんて飲んでたまるか!と言った風潮が強かったものの、美味しさは敵味方の線引きを越える。
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 (ピエール・ロティのチャイハネからの展望)
 こうしてヨーロッパでも愛される様になったコーヒーは、ドリップやエスプレッソ等の製法が編み出され、今日に至るのである。
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(ピエール・ロティのチャイハネからの展望)
 スレイマニエ・モスクを後にしてバスに乗り込み金角湾の奥にある、もう一つの有名な丘に私は向かった。そこはピエール・ロティと言う小説家が好んだ丘で、彼はそこのチャイハネ(喫茶店)で小説を執筆したと言う。私も文学者気取りでイスタンブールの絶景を眺めながらトルコ・コーヒーを嗜んだ。