モーリタニア旅行記その2イスタンブールでトランジット
嘗て私が単独でモーリタニアの旅を考えていた頃は、モーリタニアへはパリ経由かモロッコを経由するしか無かったが、今ではトルコ航空が就航しているのでイスタンブール経由の一回の乗り継ぎでモーリタニアへ向かう事が出来る。
今回のツアーも勿論トルコ航空。イスタンブールでは10時間以上の乗り継ぎ時間となるが、10時間以上の乗り継ぎの場合、トルコ航空はホテルを用意してくれるサービスがあるので安心だ。
トルコ航空の用意してくれたホテルで他のツアーメンバーは大人しく、これから始まる旅に備え英気を補充していたが、私はそんな時間も大人しくはしていられない。飛び出す様にイスタンブールの街へと向かった。
ホテルは新市街の奥にある立派なホテル。そこからメトロの駅まで歩いて旧市街へと向かった。其処への複雑な道は今ではスマホ・アプリのMaps.meを見れば簡単に辿り着ける。しかしメトロの発券機が50リラ札を受け付けない。マゴマゴしている私を言葉が全く通じないお姉さんが助けてくれた。
毎度書いている事だが、イスラームの人々は本当に旅人に親切だ。外国の人を助けたいけど言葉が通じないから…とは良く聞く言葉だが、それは言い訳に過ぎないのだろう。言葉が通じないは関係無いのだ。言葉が全く通じない彼女に助けられながらつくづくそう思った。ホームに到着すると私の乗る電車がまさに出発しそうな様子。彼女に急かされながらしっかり謝意を伝える暇も無く車内に駆け込んだ。
本当はアルカディア・ブルーと言うホテルのレストランからブルー・モスクを眺めたかったのだが、生憎営業時間には早過ぎたので、普通にイスタンブールの王道を散歩する事にした。ブルー・モスクからアヤ・ソフィアを眺め、トプカプ宮殿の脇を抜けてイスタンブールの心臓とも言えるエミノニュに出る。
対岸にガラタ塔を眺めながら港で名物鯖サンドを購入する。そして新しく出来たであろうガラタ橋からもうひとつ奥の橋の真上にある駅からメトロに乗って、皆の待つホテルへと帰還した。
イスタンブール、古の名はコンスタンティノープル。ビザンティン帝国、オスマントルコ帝国、二つの巨大帝国の首都となった街。言い換えれば此処を制した者が巨大な帝国を築き上げた。
旅を続けていると前後の旅は何処かで何かが繋がっている。前回私を魅了したヴェネチアの街。そう言えばヴェネチアはこの街と深い因縁に満ちている。
創建当初ヴェネチアはビザンティン帝国の影響下のもと発展を遂げた。そして貿易相手国として時に衝突を重ねながらも深い関係を保ち続けた。ヴェネチアがこれだけ発展を遂げたのもコンスタンティノープルからもたらされる交易に依るところが大きかったのは間違い無い。
一方ビザンティン帝国が滅び、この街がオスマントルコ帝国の首都イスタンブールと生まれ変わると、オスマントルコはヴェネチアの驚異となり続け、オスマントルコとヴェネチアは制海権を争い合った。オリエント・エクスプレスはヴェネチアからイスタンブールを繋いでいたが、正に両者はオリエントの両雄だった。
そんな歴史に想いを馳せながらホテルへの坂道を歩いていると、けっつまづいてスマホを粉砕してしまった。道案内はMaps.me頼り。もう少し遠くで落としていたら、皆と合流出来なかったかもしれない。歩きスマホはご用心だ。
さて、こうして漸くモーリタニアへと向かう事となった私達。遥かな距離と思っていたが、いざ向かってみるとあっという間なものだ。新しく出来たと思われる空港、そして首都であるヌクアショット迄の道は思った以上に整備され、ツアーなので泊まったホテルも四ツ星で私がいつも泊まる様なホテルよりよっぽど立派。そんな訳で暗くなったホテル内では未々モーリタニアに着いた実感が沸かない。
しかしそれも明日になれば解決するに違いない。モーリタニア、いったいどんな国なのだろう?
今回のツアーも勿論トルコ航空。イスタンブールでは10時間以上の乗り継ぎ時間となるが、10時間以上の乗り継ぎの場合、トルコ航空はホテルを用意してくれるサービスがあるので安心だ。
トルコ航空の用意してくれたホテルで他のツアーメンバーは大人しく、これから始まる旅に備え英気を補充していたが、私はそんな時間も大人しくはしていられない。飛び出す様にイスタンブールの街へと向かった。
ホテルは新市街の奥にある立派なホテル。そこからメトロの駅まで歩いて旧市街へと向かった。其処への複雑な道は今ではスマホ・アプリのMaps.meを見れば簡単に辿り着ける。しかしメトロの発券機が50リラ札を受け付けない。マゴマゴしている私を言葉が全く通じないお姉さんが助けてくれた。
毎度書いている事だが、イスラームの人々は本当に旅人に親切だ。外国の人を助けたいけど言葉が通じないから…とは良く聞く言葉だが、それは言い訳に過ぎないのだろう。言葉が通じないは関係無いのだ。言葉が全く通じない彼女に助けられながらつくづくそう思った。ホームに到着すると私の乗る電車がまさに出発しそうな様子。彼女に急かされながらしっかり謝意を伝える暇も無く車内に駆け込んだ。
本当はアルカディア・ブルーと言うホテルのレストランからブルー・モスクを眺めたかったのだが、生憎営業時間には早過ぎたので、普通にイスタンブールの王道を散歩する事にした。ブルー・モスクからアヤ・ソフィアを眺め、トプカプ宮殿の脇を抜けてイスタンブールの心臓とも言えるエミノニュに出る。
対岸にガラタ塔を眺めながら港で名物鯖サンドを購入する。そして新しく出来たであろうガラタ橋からもうひとつ奥の橋の真上にある駅からメトロに乗って、皆の待つホテルへと帰還した。
イスタンブール、古の名はコンスタンティノープル。ビザンティン帝国、オスマントルコ帝国、二つの巨大帝国の首都となった街。言い換えれば此処を制した者が巨大な帝国を築き上げた。
旅を続けていると前後の旅は何処かで何かが繋がっている。前回私を魅了したヴェネチアの街。そう言えばヴェネチアはこの街と深い因縁に満ちている。
創建当初ヴェネチアはビザンティン帝国の影響下のもと発展を遂げた。そして貿易相手国として時に衝突を重ねながらも深い関係を保ち続けた。ヴェネチアがこれだけ発展を遂げたのもコンスタンティノープルからもたらされる交易に依るところが大きかったのは間違い無い。
一方ビザンティン帝国が滅び、この街がオスマントルコ帝国の首都イスタンブールと生まれ変わると、オスマントルコはヴェネチアの驚異となり続け、オスマントルコとヴェネチアは制海権を争い合った。オリエント・エクスプレスはヴェネチアからイスタンブールを繋いでいたが、正に両者はオリエントの両雄だった。
そんな歴史に想いを馳せながらホテルへの坂道を歩いていると、けっつまづいてスマホを粉砕してしまった。道案内はMaps.me頼り。もう少し遠くで落としていたら、皆と合流出来なかったかもしれない。歩きスマホはご用心だ。
さて、こうして漸くモーリタニアへと向かう事となった私達。遥かな距離と思っていたが、いざ向かってみるとあっという間なものだ。新しく出来たと思われる空港、そして首都であるヌクアショット迄の道は思った以上に整備され、ツアーなので泊まったホテルも四ツ星で私がいつも泊まる様なホテルよりよっぽど立派。そんな訳で暗くなったホテル内では未々モーリタニアに着いた実感が沸かない。
しかしそれも明日になれば解決するに違いない。モーリタニア、いったいどんな国なのだろう?