シルクロードを西へ!トルコ編イスタンブール3

  アヤ・ソフィアから広場を挟んでアヤ・ソフィアと正対する様に建つモスクはスルタン・アフメッド・ジャーミー、通称ブルー・モスクだ。トルコのモスク建築様式は全てアヤ・ソフィアが決定付けたと言っても過言では無い。
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 コンスタンティノープルを陥落させたオスマン帝国のスルタンがアヤ・ソフィアの建造美に感嘆し、アヤ・ソフィアに追い付け追い越せとばかりにモスクを建造した。
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 建物の四方に半円のドームを築き、その上に巨大なドームを載せる。これにより柱を極力使う事無く広大な礼拝空間を確保する。アヤ・ソフィアの建築技法だ。
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 内部空間はイズミック・タイルで装飾され、そのタイルが光の加減で青く輝く事からブルー・モスクと呼ばれる様になった。また王が建築家に黄金の(アルトゥン)のミナレットを築く様に命令したが、建築家はそれを6(アルトゥ)と聞き間違えた事により、世界で唯一6本のミナレットを持つモスクが誕生した。
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 アヤ・ソフィアを中心としてブルー・モスクの正反対側に位置するのがオスマン帝国の居城トプカプ宮殿だ。広大の敷地に入ると緑多き空間に小降りな建物が点在している。ヨーロッパの豪勢な宮殿を見慣れている人はちょっと肩透かしを喰らうかもしれない。
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 これはオスマ帝国を築いた王家のルーツに由来する。彼等は中央アジアを拠点とした遊牧民族がルーツだ。遊牧民族は移動をしながら生活を営むのでシンプルな居住空間で十分だった。またイスラーム質実剛健さも加わって、イスタンブールに定住する事となってからも、ヨーロッパの宮殿に比べれば質実剛健な宮殿を築いたのであろう。
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 トプカプ宮殿で一番豪勢な部分はハーレムであろう。王と王の側室しか入る事が許されない、即ち江戸幕府で言う大奥の様な場所である。
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 またトプカプ宮殿は片側をボスフォラス海峡、もう片方を金角湾、そこに突き出した半島状の地形に建つ。正に要所を守る形で建てられた宮殿と言える。それが今日では絶景を拝める場所となっている。
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 宮殿を出てアヤ・ソフィア側に戻る途中、地下鉄の駅の様な感じで地下宮殿の入り口がある。これは宮殿と言ってもビザンティン帝国時代に築かれた貯水槽の事だ。何故宮殿なのか?それは貯水槽の柱に使われた建材がにローマ時代の列柱が使用されている為、まるで宮殿の様に見えるからだ。
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 列柱の高さを揃える為か?いやはや某かの呪いの為か?列柱の土台にゴーゴンの頭が使われていたりする。場所が場所だけあってヒヤリとする。発掘した人はさぞ驚いた事だろう。