シルクロードを西へ!ウズベキスタン編サマルカンド4

 バザールで腹を満たした後更に歩みを進める。バザールの向かいの大通りを越えた小高い丘にはハズラティ・ヒズル・モスクが建っている。木造の柱の下部が極端に絞り込まれている柱が林立するテラスは中央アジアのモスクの代表的建築様式の一つだ。私が日本人と解ると主人がチャイをご馳走してくれた。親日な人々が多いのも旅を楽しくしてくれる。

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 モスクを出て更に歩みを進めるとアラシャブの丘に出る。此処はジンギス・ハーンに滅ぼされたサマルカンドの街があった部分。玄奘三蔵はインドに赴く途中この街を訪れているが、彼が訪れたのは滅ぼされたこの街の方だ。今は最早何も残されていない。

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 其処を過ぎるとウルグベクが建てた天文観測所跡がある。彼が観測した一年の時間は、今日の精密機器が弾き出した数値と一分も違わなかったと言う。観測所のベンチで一服取っていると一人の男性が話しかけてきた。彼は英語の教師だと言う。成る程隣のベンチには彼の生徒達が腰かけている。

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 彼と話をしていると、矢継ぎ早に隣のベンチから色々質問が飛んできた。学生達にとって習ったばかりの英語の良い実践の場なのだろう。中でも積極的な女の子がいた。教師が言うには、その子の名前は現地の言葉で「美しい」を意味するそうだ。私が「それは本当だよ!」と言うと、彼女は照れてしまって、ゼンマイ仕掛けの人形の様にモジモジしてしまった。

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 しかし私はお世辞を言ったつもりは無い。東洋や西洋が入り交じった血を持つ彼女達は本当に美人が多い。彼女も東洋の雰囲気を多分に残した白人系で、鳶色の眼を持っていた。

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 教師と話をして、特に印象に残った会話があった。私が「ウズベキスタンの学生にとって英語を学ぶと言う事は難しい事ですか?」と訪ねると、教師は咄嗟に且つ完全に否定した。生徒の前で難しい事とは言えないだろうが、それより彼は冷静に分析していた。

ウズベキスタンは歴史的に様々な勢力が興亡を繰り広げた地域です。その度に我々はその文化を、言葉を受け入れざる得ませんでした。最近ならソビエトの支配が続き、我々はロシア語を学びました。英語もまた一つ言語が加わったに過ぎません。」

 頼もしい言葉だ。確かにウズベキスタンではウズベク語の他にロシア語とタジキスタンの言葉を話せるバイリンガルが殆どだ。様々な民族、様々な言語、それが当たり前のこの地では異文化を受け入れる事は当たり前な事なのかもしれない。