シルクロードを西へ!ウズベキスタン編サマルカンド5

 往き来た道を戻りアラシャブの丘南麗に横たわるシャーヒズィンダ廟群を参拝した。

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 此処はウズベキスタンでも有数の聖地でありティムール所縁の人々も此処に眠る。またイスラーム預言者ムハンマドの従兄クサム・イヴン・アッバースが殉教した伝説も残り、イスラームにとっても重要な聖地である。

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 此処にもティムールが愛した蒼がふんだんに使用され、タイルワークも見事だ。

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 この廟群を散策していると、国内旅行の地元の学生が「ウズベクウズベク?」と私を見ながら友達と囁いていたが、意を決してそのうちの一人が私に「何処の国から来ましたか?」と尋ねてきた。私が日本人である事を知ると、何故か非常に盛り上がってしまい記念撮影大会になった。

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 一旦レギスタン広場に戻り、そこからあまり観光客が訪れないだろう見所へ向かった。サマルカンドでは今まで見てきた見所は概して旧市街の半分に固まっている。一方人々が暮らす旧市街はそれに付随する様に隣接している。

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 元々街がそう言う作りだったのか、観光施設から住民が移動させられたかは解らないが、人々の日常的な風景と遺跡群との間に距離があり、私はサマルカンドの日常的風景も感じたかったのだ。

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 私は住宅地を彷徨した。道は入り組んでいるものの、シルクロードの広い地域故か、中東の旧市街の様な迷宮感は無く開放感を感じる。そんな旧市街を楽しみながら、イシュラトハナ廟に辿り着いた。此処はティムール家の女性や子供達が葬られた廟の跡だと言う。数々の地震により廃墟となってそのままの姿を残している。ウズベキスタンは6月でも35度もある。火照った体をこの廟の日陰で冷ました。

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この廟と道を挟んで対面にフッジャ・アルディダルン廟とモスクがある。ドームには草が生え、修復も儘ならない様相だが、現地の人々の信仰の場であり、中庭の池の周囲ではドッピと呼ばれるイスラームの民族帽を被った老人が午後の憩いの時を過ごしていたりする。完璧に修復されたモニュメントと化したレギスタン広場も素敵だが、こうした風景もまた旅の醍醐味の一つである。

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 サマルカンド、ティムールが造った蒼の都。一躍中央アジアを席巻したティムール帝国だったが、後見が続かずあっけなく崩壊する。たがが外れた西アジアではイランにサファビー朝が興き、トルコにはオスマン朝が台頭した。インドではティムールの子孫を名乗るバーブルがムガル帝国を築き、此処にアジア三大イスラーム帝国の時代が花開く事となる。