旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ブルガリア編2

 バスが到着するとお目当てのリラの僧院はすぐ目の前だった。門を潜れば事前に何度も写真で眺めた聖堂が現れる。この旅で一番正教会らしい、正教会独特の建築と言える。

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 しかしその華やかな彩色は今までに見た事の無い独特のものだ。更にはその回廊部の天井に描かれたフレスコ画の鮮やかな配色。こんな明るいフレスコ画は今まで見た事が無いかも。例えばカソリックルネッサンス期の有名な宗教画もダークなトーンばかりで、重厚さや描画の素晴らしさは伝わってきても、見ているうちに重い気分になってきて楽しめない。

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 それに比べ砕けて言えばポップとも言えるこのパステルカラーのフレスコ画は、思わず見とれてしまう気分にさせられる。宗教画はルネッサンス期には芸術として昇華していったのかもしれないが、始まりは言葉の通じない人々に布教する為の大きな役割があった筈だ。ならばこんな色合いの方が効果的だったのではないかと感じる。

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ただ正教は一時期原点回帰の思想から宗教画を廃止しており(ユダヤ教イスラームの様に偶像崇拝を忌避する為)、その禁が解けた後も宗教画を描くに当たって様々な制約を付けた。従ってルネッサンスを経たカソリックの宗教画が著しい発展を遂げたのに対し、正教の宗教画は前面から直視した様な昔ながらの素朴な画が多いのはこの為だ。

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 ひとしきり僧院を拝観した後は背後に建つレストランで名物のマスを頂いた。何故かヨーロッパでは魚のグリルは非常に高価で、以後もマスが名物となる綺麗な湖には幾度か訪れたのだが、値段にしり込みしてしまい此処が唯一の食事となった。今考えればもったいない。

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魚を食べていれば付き物なのが猫ちゃん達で、テーブルの下を覗けば何びきも集まってきている。残した骨をあげれば嬉しそうに食べる。勘定を済ませる為ウェイターさんがお皿を引き上げに来たら、私の皿は骨ひとつ残さず綺麗だったので、ちょっとビックリ顔だった。東洋人は骨まで食べると勘違いしなければ良いが…。

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 リラの僧院からソフィアに戻り一泊し、今度は市内を散策する。私は駅の近くの宿だったので、中心に向けて歩いていけば欄干にライオンの銅像が建つ橋に出た。ライオンはブルガリアの象徴らしい。

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更に進むと規模の大きいモスクが見えた。ブルガリアオスマントルコの長い支配時代が続き、オスマントルコの本拠地の現在のトルコもすぐお隣の立地ゆえこうしたモスクも建てられて不思議では無いが、支配が終わって、その屈辱も大きかっただろうに破壊するのでは残していくと言う姿勢は素晴らしいと思う。

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 他にもソフィアには、このモスクの背後に建つハマム(温泉)等幾つものイスラーム建築が残るが、博物館等として再利用されている。

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 更にもう少し先に進むと街の中心なのだが、そこにはセルディカと呼ばれる遺跡が残されている。地下鉄を掘った時掘り当てたのだろうか?街の中心や、地下鉄駅に続く地下構内に突然遺跡が展示されて驚きだが、此処は昔から街の中心であり、如何に重要な場所だったかを示している。

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その遺跡に寄り添う様に半分地下に埋もれるかの様に教会が建てられている。これはオスマントルコ時代に、乗馬するオスマン軍の目に入らない場所なら教会を建てて良いと認可が降りたからだそう。遺跡を挟んで向こうに見えるモスクの堂々ぶりと比較すると当時の両者の関係が垣間見える。

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 更に進めばブルガリア正教の中心ともなる聖ネデリヤ教会、

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そして何故かシェラトン・ホテルに取り込まれてしまったソフィア最古の教会、聖ギオルギ教会と見て回り、

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更に進めばソフィアの中心となるヴィトシャ通りを歩く。此処は常時歩行者天国となっており、ソフィアの銀座と言ったところだろうか?

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 一旦街の中心まで戻り右手に曲がれば旧共産党本部が此処にもある。威圧的な作りは共産圏共通だ。

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もう少し進み、ロシア正教の聖ニコライ・ロシア教会を通りすぎ、

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ちょっと入ったところにソフィアの地名の由来ともなったソフィア教会、

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そしてバルカン半島で一番荘厳だと言われるアレクサンドル・ネフスキー寺院へ赴いた。これはオスマントルコを破り、ブルガリアを独立に導いてくれたロシアの戦死者の慰霊の為に建てられたと言う。一見モスクか?と勘違いしてしまうが、立派な正教会の建築様式でもある。思えばビザンティン帝国の後を次ぐかの様にビザンティンが支配していた領域を治めたオスマントルコ。ビザンティンの残したアヤ・ソフイアに舌を巻き、その建築に追い付け追い越せとばかりにモスクを築いてきたのがオスマントルコのモスク建築だ。似ていて当然だったのだ。

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 ソフィアには他にも大規模なユダヤ教シナゴーグ(寺院)等もあり多彩な歴史と文化があった事が解る。再び街の中心まで戻り、バザールがあると聞いてセントラル・ハリに赴いたが、余りにも現代的なもので肩透かしを喰らい、ヨタヨタ宿へ向かっていたら偶然にもジェンスキ・バザールに紛れ込んだ。やっぱりバザールは青天が良い!

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 何だか屋台のフェスか何かが実施されていててんやわんやの人だかりだったが、どうやら入場料が必要の様で、食べるのにお金いるのに、会場に入場するのにも金がいるの?と食費をケチる悪い癖が出て退散。結局ワンパターン過ぎるピザ屋に入る。しかしそこで食べてる若者達が(決してオジサン・オバサンでは無い)決まって白いペットボトルの飲み物を飲んでいるのを発見。真似っこ子猿な私は指差して

「あれが欲しい!」

 結局想像通りそれはヨーグルト飲料だったのだけど、味は全く想像を遥かに越えていてなんとしょっぱい!砂糖じゃなくて塩が入ってる。思わず鼻から豆乳噴き出しそうになった。ブルガリアの若者は味覚がおかしいんじゃないか?いや、ヨーグルトに塩を入れるのは百歩譲ったとして、それをピザに付け合わせるのは…。

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でも良く考えればヨーグルトは此方が本場なのだから、ヨーグルトは甘いものと思いこんでいる私達が間違っているのだ。それは寿司に何故アボガドが入ってないのか!と嘆く西洋人みたいなものなのだろう。ヨーグルトの本場ブルガリアでは、ヨーグルトは様々な料理のベースになる。砂糖を入れて甘くするのはほんの一例に過ぎず、塩ばかりか時に唐辛子さえ入れるらしい。到着の朝食べたヨーグルトは砂糖の全く入っていないプレーンのものだったのはその為なのだ。ブルガリアではヨーグルトに砂糖とは限らないのだ。旅はいつでも愚かな旅人の固定概念をズタボロに破壊してくれる。

うーん、だから世界は面白い。

そして後から気づいた事。ヨーロッパのレストランの魚料理は、どうやら一人分の値段では無く重さに対しての値段の様だ。だからあんなに高い金額だったのだ。
って事は一人分ならもっと安かった…
悶絶する程悔しい!
もっと鱒食べたかった
わーん(泣)