シルクロードを西へ!新疆編6トルファン1

 夜汽車に揺られて訪れた次の街はトルファン。標高-100Mは世界で死海に次いで陸上で標高が低い場所。夏の暑さは物凄く、火の国と呼ばれている。またあらゆる意味でターニングポイントとなる街でもある。

イメージ 2


 先ずはトルファンは交通の要衝、古くは天山山脈を挟んで北側を行く天山北路と南を行く天山南路の分岐点だった。そしてそれは今も同じく鉄道の分岐点となっている。昨今の中国政府による漢民族の移民政策により変化しつつあるとは言え、漢時代の国境でもあた河西回廊の出口、敦煌を過ぎれば、行政的にもウイグル自治区に入り、ウイグル族が暮らす地域に入る。民族分布のターニングポイントになる街でもある。

イメージ 1

(火焔山)
 ウイグル族イスラームを信仰する民族で漢民族とは全く異なるトルコに近い民族であり、中国によりウイグル自治区と名付けられているが、ウイグル側から見れば此処は東トルキスタンである。(中国政府は彼等が東トルキスタンの旗を掲げただけで投獄する。)またウイグル族は彫りが深く、美男美女がとても多いのも特徴だ。

イメージ 3

(火焔山)
 私が先ず訪れたのは火焔山、トルファン西遊記の物語でもターニングポイントとなった場所。此処で一行は鉄扇公主との死闘を繰り広げるのである。火の国と言われた猛暑のトルファン。岩に刻まれた筋がまるで燃えている様な事から火焔山と呼ばれる様になり、物語の舞台となった。

イメージ 4

(火焔山)
 トルファン西遊記のターニングポイントとなっただけでは無く、史実の玄奘三蔵にとっても非常に重要なターニングポイントとなった街だ。彼は嘗てこの地を納めた高昌国を訪れるが、その王に非常に愛され、再三国に残って仏教を人々に教えて欲しいと頼まれる。

イメージ 5

(高昌国遺跡)
 しかしインドから経典を持ち帰ると言う鋼の意思を持った玄奘は、その願いを平身低頭固辞し続けた。それはある意味危ない行為でもあった。有能な人物の国外流出を嫌う君主は、そんな人物を殺めてしまう例が過去に幾らでもあったからだ。

イメージ 6

(高昌国遺跡)
 しかし仏教を信じる高昌国の王は、そんな小さな人物では無かった。玄奘の漢っぷりに感銘を受け、彼を仏教の経典を求める為の正式な特使として任命し、それに必要な物資、資金、人材を玄奘に与え、更には玄奘の進む路にある国々に向けて、玄奘の旅の安全を保証させる手紙まで添えさせた。此処にて玄奘は、これまで密出国者として追われる身から、一国の正式な特使の長としてインドに旅をする事となったのである。

イメージ 7

(高昌国遺跡)
 しかし玄奘が15年に及ぶ旅を終え、経典を手に入れ高昌国を訪れた時には、皮肉にも玄奘の母国である唐に高昌国は滅ぼされてしまっていたのである。廃墟となった高昌国の姿を玄奘はどの様な想いで見たのだろう?

イメージ 8


(高昌国遺跡)
 諸行無常の夢の跡を、驢馬車に揺られながら見学した。