シルクロードを西へ!新疆編8クチャ1
トルファンを出発し次の目的地クチャを目指す。今回の鉄道の旅の中で一番移動時間が長い部分だ。駅の前の売店で夜食を買い込んだ。中国全体で人気となっているイスラームの麺、牛肉麺のカップヌードルとナン。
中国の鉄道は麺の本場中国らしく、何処でもお湯が常備されているからカップヌードルは鉄道旅行の共だ。
ナンはアラブの主食のイースト発酵を伴わないパン。本場アラブでは円盤状の薄い形状で、何かを巻いて食べるのに適しているが、中央アジアのナンは厚さがあり、実がぎっしり詰まっており食べ堪えがある。
列車は海抜-100mのトルファンから3000mの天山山脈を越えて走る。天山山脈はもう雪景色だった。荒野に夕陽が沈んでいく。
同じコンパートメントの中国人と語ったり、牛肉麺のカップヌードルを啜りながら車窓の風景を楽しみながらクチャまでの鉄道旅行を楽しんだ。
クチャでは先ず郊外の見所を回った。スバシ故城は当時この地に栄えた亀慈国の仏教遺跡だと言う。
トルファンの高昌故城や交河故城と同様と土を建材としている為風化により保存状態は芳しくは無いが、それが逆に過ぎ去った時の長さを物語っている。
遺跡の後方には雪がちらほらと残る山々が聳えている。史実では玄奘は雪解けを待ってこの地から天山山脈を越えて旅を続けている。遺跡も感動したが、この地域の荒涼とした風景もまた心に残る風景であった。
続いて訪れた郊外の見所はキジル千仏洞、此処も仏教壁画が残る石窟寺院である。此処では遺跡の石窟の鍵を開けてくれるガイドが日本語で案内してくれる事になっていたが、彼女は鍵を開けてくれたり、懐中電灯で壁画を照らしてくれたりはするものの、肝心な日本語による説明を一向にしてくれない。
こんなところにも中国共産党が扇動する反日感情の影響が表れているのかと思い苛々させられ、最初の内は解らない事は質問していた私もやがて無口になり、解らない事はガイドブックで参照する有り様だった。驚いた事はトルファンの壁画で見た以上に仏の顔がインドそのものだった事。思えば中国にいると言う意識を捨てれば、地理的には最早中国文化圏を離れ、仏教の故郷インドに近い場所にいるのだからそれも当然なのかもしれない。
(亀慈国出身の仏典を中国語に翻訳した僧侶、鳩摩羅什の像。初代三蔵法師)
そんなこんなで何だか重たい雰囲気で石窟巡りは終わった。しかし別れ際に彼女はこう言ったのである。
「ごめんなさい。私…日本語が上手く話せなくて…。」
此には深く反省させられた。彼女は無愛想な訳でも無く、反日感情を持っている訳でも無く、経験に乏しく緊張していた事だろう。そんな彼女に、シカメ面の私は余計緊張を与えてしまったに違いない。反日感情云々以上に、日本人は恐いと言う印象を与えてしまったかもしれない。
旅は時に自分の等身大を教えてくれる。自分の器量のちっちゃさにホトホト嫌気が指した。世界を旅したかったならもっと大きくなれよ!と旅の神様が言っている。
注)三蔵法師とは、経蔵、論蔵、律蔵に精通した僧侶を指し、中国に於いてはインドから教典を中国にもたらし漢訳した僧侶に与えられる尊称である。即ち固有名詞では無い。初代三蔵は鳩摩羅什、一番有名となった三蔵法師は西遊記の登場人物として描かれた玄奘三蔵法師である。
従って玄奘がインドへ赴いて帰国する迄は彼は三蔵では有り得ず、西遊記で悟空が三蔵さんと呼ぶ表現は物語ならではの表現と言える。
中国の鉄道は麺の本場中国らしく、何処でもお湯が常備されているからカップヌードルは鉄道旅行の共だ。
ナンはアラブの主食のイースト発酵を伴わないパン。本場アラブでは円盤状の薄い形状で、何かを巻いて食べるのに適しているが、中央アジアのナンは厚さがあり、実がぎっしり詰まっており食べ堪えがある。
列車は海抜-100mのトルファンから3000mの天山山脈を越えて走る。天山山脈はもう雪景色だった。荒野に夕陽が沈んでいく。
同じコンパートメントの中国人と語ったり、牛肉麺のカップヌードルを啜りながら車窓の風景を楽しみながらクチャまでの鉄道旅行を楽しんだ。
クチャでは先ず郊外の見所を回った。スバシ故城は当時この地に栄えた亀慈国の仏教遺跡だと言う。
トルファンの高昌故城や交河故城と同様と土を建材としている為風化により保存状態は芳しくは無いが、それが逆に過ぎ去った時の長さを物語っている。
遺跡の後方には雪がちらほらと残る山々が聳えている。史実では玄奘は雪解けを待ってこの地から天山山脈を越えて旅を続けている。遺跡も感動したが、この地域の荒涼とした風景もまた心に残る風景であった。
続いて訪れた郊外の見所はキジル千仏洞、此処も仏教壁画が残る石窟寺院である。此処では遺跡の石窟の鍵を開けてくれるガイドが日本語で案内してくれる事になっていたが、彼女は鍵を開けてくれたり、懐中電灯で壁画を照らしてくれたりはするものの、肝心な日本語による説明を一向にしてくれない。
こんなところにも中国共産党が扇動する反日感情の影響が表れているのかと思い苛々させられ、最初の内は解らない事は質問していた私もやがて無口になり、解らない事はガイドブックで参照する有り様だった。驚いた事はトルファンの壁画で見た以上に仏の顔がインドそのものだった事。思えば中国にいると言う意識を捨てれば、地理的には最早中国文化圏を離れ、仏教の故郷インドに近い場所にいるのだからそれも当然なのかもしれない。
(亀慈国出身の仏典を中国語に翻訳した僧侶、鳩摩羅什の像。初代三蔵法師)
そんなこんなで何だか重たい雰囲気で石窟巡りは終わった。しかし別れ際に彼女はこう言ったのである。
「ごめんなさい。私…日本語が上手く話せなくて…。」
此には深く反省させられた。彼女は無愛想な訳でも無く、反日感情を持っている訳でも無く、経験に乏しく緊張していた事だろう。そんな彼女に、シカメ面の私は余計緊張を与えてしまったに違いない。反日感情云々以上に、日本人は恐いと言う印象を与えてしまったかもしれない。
旅は時に自分の等身大を教えてくれる。自分の器量のちっちゃさにホトホト嫌気が指した。世界を旅したかったならもっと大きくなれよ!と旅の神様が言っている。
注)三蔵法師とは、経蔵、論蔵、律蔵に精通した僧侶を指し、中国に於いてはインドから教典を中国にもたらし漢訳した僧侶に与えられる尊称である。即ち固有名詞では無い。初代三蔵は鳩摩羅什、一番有名となった三蔵法師は西遊記の登場人物として描かれた玄奘三蔵法師である。
従って玄奘がインドへ赴いて帰国する迄は彼は三蔵では有り得ず、西遊記で悟空が三蔵さんと呼ぶ表現は物語ならではの表現と言える。