シルクロードを西へ!新疆編10カシュガル1

 寝台列車を4回乗り継いで、私は遂に今回の旅の終着地カシュガルに辿り着いた。蘭州から3200キロ、西安から数えれば3800キロ。ゴビ砂漠を越え天山山脈を越え、タクラマカン砂漠を越えこの地に到着した。玄奘三蔵はインドの帰路にこの街を訪れている。

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 これ迄様々な仏教遺跡を訪ねてきた。シルクロードは仏教が東へと目指した道程でもある。

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 仏教の史跡に彩られた街道は、やがてイスラームの史跡が折り重なっていった。漢民族の闊歩する街の風景は西に行くに連れ、彫りの深いウイグル族の風景に変わっていった。そしてそれは此処カシュガルに於いて極まった。

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 しかしウイグル族の聖地、カシュガルのエイティガル・モスクの前は中国政府により天安門広場の様な何も無い空間に変えられていた。

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 これはチベット・ラサのポタラ宮の前と同様だ。ポタラ宮も以前は宮の前面は其処で働く人々の住居だった。エイティガル・モスクの前面はバザールが広がっていた筈だ。何も無い広場に政府が設けたモニターには猥雑な映像が垂れ流されていた。

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 それでもこのモスクはウイグル人にとってかけがえの無いモスクである事には変わりがない。そのモスクに入場し、雨の少ない中央アジアならではの建築様式を堪能し、今いる場所が北京より遥かにパキスタン中央アジアに近い場所にいる事を実感した。

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 モスクの裏手はウイグル人の職人達の地域になっている。

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 日用品から楽器まで、トンテンカンと職人達が腕を振るう音が聞こえてくる。

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 職人街から街の中心部へ向かっていくと場違いな観覧車に出くわした。勿論此処に進出した中国政府が作ったものだが、カシュガルの街並みを把握する為にそれに乗って驚愕した。

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 最早ウイグル人の日干し煉瓦の家々は姿を少なくし、政府が作った武骨で無愛想なコンクリートのビルがまるで癌細胞の様に増殖している。そんな中に取り残された様に日干し煉瓦のウイグル人居住区があった。

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 其処へ向かって私は再び驚愕した。なんと入場料が必要なのである。もしそれが旧市街の保存の為に使われ、ウイグル人の文化保護に使われるのなら喜ばしい事だが、まさか中国政府がそんな事をする訳も無い。こんなウイグル人の日常生活ですら、彼等は客寄せパンダに仕立て上げ金儲けを企んでいるのだろう。

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 ウイグル人居住区に入れば日干し煉瓦で作られた家々をぬう道は迷路の様で、街が中東のイスラーム式に乗っ取って作られている事が良く解る。家と家の間に二階部分が渡り廊下の様に被さる箇所なんかは正にイスラーム式の街作りだ。そんな日干し煉瓦で作られた迷宮を彷徨いながら、失われていく景観と其処で暮らす人々との触れ合いを胸に刻んだ。