旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ヴェネチア編その2

 さて今日からヴェネチアを本格的に歩く事にする。二度目とは言え25年ぶり、変化球では無く王道を旅しようと思う。それなら向かう場所はただひとつ、サンマルコ広場と言う事になる。

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 鉄道が敷かれた今でこそヴェネチアの表玄関はサンタルチア鉄道駅に多くの役割を分担する事となったが、船しか到着方法が無かった昔はサンマルコ広場こそがヴェネチアの表玄関だった。この広場にはヴェネチア共和国の聖と政の中心があった。

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 聖の中心はサンマルコ寺院。政治の中心がドッカーレ宮殿だ。サンマルコ寺院の前に広がる大きな中庭部分をサンマルコ大広場と呼び、ドッカーレ宮殿脇のラグーナに面する部分をサンマルコ小広場と呼ぶ。

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 広場の中心には高さ90メートルの鐘楼が建つ。再建されたものなのでエレベーターを持つ。歴史的建造物にエレベーターは無いと思うが、此処を訪れる観光客の量を考えれば、設置しなければ捌ききれないとも言える。

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 これまで見てきたロヴィニやピラン等の教会の鐘楼も全てこの鐘楼を模して建てられたもの、まさにヴェネチア共和国の威厳を示した鐘楼と言えよう。勿論そこからの眺めも最高だ。

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 続いてドッカーレ宮殿を訪れた。ドッカーレ宮殿はヴェネチア共和国時代の政治の中枢である。政治の中枢にあたる建築にしては、他のイタリアの都市国家に比開放的な造りとなっており、如何にヴェネチア共和国が平穏であったかを物語っている。ヴェネチア共和国の政治の特徴は約千年もの間、徹底した共和国体制を取った事だ。同じ共和国だったフィレンツェ等を見てもメディチ家の専横等共和国体制は一貫していなかった。

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 宮殿の内部には嫌と言う程名画が掲げられ、全て見てしまうと首が折れそうになるくらいだ。こうしたヴェネチア共和国の繁栄を象徴した部分から建物内の橋、所謂溜め息の橋を渡ると景観は一変する。そこは牢獄になっているのだ。

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 宮殿は国会議事堂の役割の他に裁判所の役割も兼ねており、そこで有罪が確定した罪人はそのまま溜め息の橋を渡り、牢獄へと送られた。そこで囚人達は橋から眺めるヴェネチアの景色を眺めては溜め息を漏らしたと言う。それがこの橋の名前の由来だ。

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 宮殿を出、サンマルコ広場の対面にあるコッレール美術館を訪れた。ドッカーレ宮殿とセットになったチケットだったからだ。此方は宮殿と比べ、当時のヴェネチアの富裕層の生活空間を垣間見る事が出来、また違った意味で興味深い展示だった。

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 サンマルコ広場に残る重要な建築、サンマルコ寺院はヴェネチアの聖の中心。正にヴェネチアの核となる建築であり、その寺院の存在があたかもヴェネチアの立ち位置をあからさまに示しているとも言える。詳しく書くと長くなってしまうので、次の旅となるやりなおしの旅でヴェネチアを書く時に残しておこうと思う。

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 サンマルコ広場を後にして、ヴェネチアのもうひとつの大きな見所リアルト橋へ向かった。此方はヴェネチアの発祥地であり、ヴェネチアの経済の中心でもあった。嘗て東方貿易で船で運ばれた物資は此処で売買され、陸揚げされ、ヨーロッパ各地へ運ばれていった。

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 リアルト付近には物資の種類毎に桟橋が設けられ、それに付随して様々な国々の商館が建てられた。リアルト橋脇に建つドイツ商館が現在ではDFS(デューティーフリー)に改装され賑わっている。ある意味現代風商館として再利用されていると言って良いかもしれない。

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 そのドイツ商館のテラスからヴェネチアを眺める事が出来る。昔は商船が行き来しただろうカナル・グランデを現在は観光客を乗せたゴンドラやヴァポレット(フェリー)が行き交っている。

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 リアルト橋の展望を楽しんだ後はヴェネツィアの見所のひとつサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会へと向かった。その途中カナル・グランデを渡る事になるのだが、修復途中のアカデミア橋を渡るくらいならとトラゲットに挑戦した。トラゲットとはカナル・グランデ渡し船で、カナル・グランデは橋は4本しか架かっていないので場所によっては便利な存在だし、ちょっとしたゴンドラ気分も味わえる。地元の人は立ち乗りだと言うが、立ってはとてもバランスが取れそうに無い。

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 サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会はペストの終焉を祝って建てられた教会だ。ペストは時にヴェネツィアの人口の三分の一を奪う程の驚異であって、ヴェネチアの人々がどれほどペストを恐れていたかが伝わってくる。

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 再びサンマルコ広場に戻りヴァポレットを利用してサンマルコ広場の沖合いに浮かぶ島に建てられたサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会に向かった。此処に建つ鐘楼から眺めるヴェネチアもまた素晴らしい。

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 その帰りヴァポレットに乗り込めば船尾の良い席が確保出来た。いっその事渡し船として利用するだけでは無く、終点まで乗ってみる。この船はジューデッカ運河を航行し、そのままカナル・グランデに入ってサンマルコ広場まで進み、更にリド島まで向かう。これに乗るだけでヴェネチアの主だった場所を航行してくれるクルーズ船だ。

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のんびりと船からヴェネチアの景色を堪能しリド島へ向かった。リド島はヴェネチアの一番外側に位置する島で、その外側は外洋、すなわちアドリア海だ。リド島はヨーロッパでも有名なリゾートビーチで、ヴェネチア映画祭が行われ世界のセレブが集う場所だ。

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 私が其処へ訪れた理由はただひとつ。アドリア海を眺めたかった事。この旅で、プドヴァ、コトル、ロヴィニ、そしてピランとアドリア海沿岸の美しい街を訪れた。そしてその街は全てヴェネチア共和国の支配地だった。そのアドリア海の女王と呼ばれたヴェネチアアドリア海を見ずして旅を終えるのは片手落ちだ。そしてしっかりとアドリア海に感謝の言葉を述べたかった。

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ありがとう!アドリアの海よ!