旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ヴェネチア編その3

ヴェネチア二日目はヴェネチア離島巡りから開始する。ファンダメンテ・ノーボの船乗り場からヴァポレットに乗り込み、ヴェネチアの墓地となっているサン・ミケーレ島を通り越しブラーノ島へ、其処で船を乗り継いでトルッチェロ島を訪れた。

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(サン・ミケーレ島)
 もう現在では殆ど住民が住んでいないこの島は、ヴェネチアの本当の発祥地だ。ヴェネチア人は元々大陸に住んでいたイタリア人だ。しかし異民族の侵入を受け、逃げ場を失った彼等は、人の暮らし難い潟(ラグーナ)に逃げ込んだ。得ても何の得にならないラグーナなら、敵も見逃してくれるだろう。そう思ったからである。

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 その思惑は当たり、彼等は攻撃を受ける事は無かった。(その後西ローマ帝国は異民族の襲撃により滅んでしまう。)しかしラグーナでは家を建てる建材すら容易に手に入らない。彼等はラグーナで唯一採れる塩と干乾しの魚を売って生計を立て始めた。後にヴェニスの商人と呼ばれる程商売に精通したヴェネチア人のルーツが此処にある。彼等は得るものが無かったから、交易に生きるしか無かったのだ。

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(通称悪魔の橋)
 そんなヴェネチア人に更なる驚異が立ちはだかった。フランク王国の襲撃だ。フランク王国は得るものの無いラグーナをも見逃さなかった。しかしヴェネチアはかろうじてフランク王国を撃破する。海の満ち引きに精通していたヴェネチア人はそれを巧みに利用して数で圧倒するフランク王国を撃破したのだ。しかしこの事件によって、ラグーナのもっと奥へと移動しなければこの先危ういと言う事をヴェネチアは思い知らされた。

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 そんな矢先第二の不幸がヴェネチアを襲った。ラグーナの低地帯には所々水が滞留し、滞留した水は淀み腐り環境を悪化させた。そこに発生した蚊が媒体となってマラリアが大流行し、ヴェネチア人の命が多く失われた。

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 もう躊躇している暇は無かった。ヴェネチア人はラグーナの奥へと引っ越していった。それが昨日訪れたヴェネチア本島であり、リアルト橋界隈と言う事になる。

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 その際ヴェネチア人が一番気を遣ったのがラグーナの水を活性化させる事。すなわち水を絶え間なく流し続けると言う事。だからヴェネチア本島の高い部分を整地し、人が暮らせる部分とし、低く水路となっている部分を更に掘って運河とした。大自然の水の流れに逆らう事無く、大自然の設計した水路をそのまま利用して作られたのがヴェネチアなのだ。

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 運河と言えば人が手を加えた川と定義され、人が設計したからには、幾何学的だったり、効率的な配置になるのが普通だ。しかしヴェネチアの運河は、法則性が全く無く、まるで迷宮の様な造りになっているのは、先に述べた様に、水を滞留させない為、自然の水路をそのまま利用したからだ。すなわちヴェネチアヴェネチア人の途方も無い尽力によって出来上がった島である事に間違いは無いが、それを設計したのは大自然の成せる業であったと言えよう。

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 本島にヴェネチア人が移住した際、貴重だった建材は全て本島に解体され持ち去られたので、現在はトルッチェロ島に残されているのは二つの大きな教会だけだ。しかしそれを忍んで訪れる観光客やヴェネチアっ子は後を絶たない。