旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ヴェネチア編

ヴェネチア…私にとって特別な想いがある街。そもそも今回の旅で私はヴェネチアへ訪れる予定は無かった。最初はマケドニア等南部バルカン半島に絞った旅程で想定していた。しかし折角訪れるのだから北部で未訪問となっているスロヴェニアも訪れたい。そんな事で私の旅は膨らんでいった。

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 しかし長い旅の最後を飾るのがスロヴェニアの首都リュブリャーナでは、ちと役不足だと私は感じていた。何かもうひとつ足りない。私は地図とニラメッコしながら頭を抱えた。いや抱えるまでも無くそう遠く無い位置に、ひとつの街の名が地図にあった。

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 ヴェネチア。旅の最後にこれほど相応しい街が他にあるだろうか?今回の旅でモンテネグロのプドヴァとコトル、クロアチアのロヴィニとスロヴェニアのピラン、美しいアドリア海ヴェネチア所縁の街を歩いた。なのにアドリア海の女王と呼ばれる本家ヴェネチアを見ずして去ったなら片手落ちと言うものだろう。これにて私のバルカン半島の旅の計画は画竜点睛に達した。その時、私は何か呼ばれた様な気持ちになった。

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 私がヴェネチアに訪れるのは、もうかれこれ25年ぶりと言う事になる。あれはオーストラリアで一年間を過ごした後、日本に帰らずに訪れたヨーロッパの旅も最後に近くなった頃、私はこの街に訪れた。

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 私のヨーロッパ初訪問は、余り、いやとても悪い印象でしかなかった。冬に訪れてしまった事も大きな原因だと思っている。ヨーロッパの冬は雨が多くとても寒く、緯度が高いから日没も早い。暗く重く立ち込める雲の中、整然と建ち並ぶゴシック様式の威厳に満ちた建築の数々。バックパックを背負った私にはその光景はとても排他的に感じた。ゆるりとしたアジアに慣れた私には重々しく感じたのだ。

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 どの街に訪れても見所は城や教会、それに博物館と美術館。次第にその重々しい雰囲気に飲み込まれ旅に疲れ果てていった。モン・サン・ミッシェル、パリ、サグラダ・ファミリア…確かに素晴らしいけど、もうお腹いっぱいだよ…。

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 そんな中訪れたヴェネチアはまるで別物だった。整然とは正反対の支離滅裂な、なんの脈搏すら感じられない迷宮の様な道、そして運河。私は悉く迷い、舌打ちし、そしてまた迷い…。だけど迷う度に旅人の血が滾ってくる様な、熱くなる様な不思議な感覚を巻き起こす街。それがヴェネチアだった。

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 長い旅を終え、久しぶりに実家に立ち寄った。当時は最早私は家族と犬猿の仲だったので居心地は最悪のものだった。母は私が予定していたオーストラリアだけでは無くヨーロッパに立ち寄った事を驚いていた様だ。

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 私と母は生まれてこの方、どんな些細な事でも意見が合わなかった。お互い気が強く、磁石の同極の様なものなのだろう。旅の趣向も全く逆で私がアジア嗜好なら母はまるっきりのヨーロッパ嗜好。だから余計私が好みもしないヨーロッパにいったものだから不思議に思ったのだろう。

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 どうだった?と母親の質問に私は「全然面白くなかった。」と答えた。勿論当て付けもあったが、半分は本当だ。だけど最後にこう付け加えた。「ヴェネチアだけは別格に面白かった。」

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 数年後母はイタリアを旅した。その当時は最早私は家を出ていたが、再会したほんの短い時間に母に尋ねた。「イタリアは良かったかい?何処が良かった?」母はこう言った「素晴らしかったわ!そうね、やっぱりヴェネチアが一番印象的だったわ。」本当に久しぶりに母と意見があった。

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 そんな母親も昨年風の知らせで最早この世の人では無い事が解った。色々と面倒臭い手続きにも巻き込まれ悲しむ暇も無かった。本当偶然からだが、今、母との数少ない意気投合したヴェネチアに私はいる。もしかして私を呼んだのは母なのか?認めたくは無いが…。

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 当時の私を夢中にさせたこの街。あれから様々な国を訪れた今、私はどうこの街を感じるのだろう?

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 二度目だからとは言え25年ぶりの事、変化球は使わず王道を歩こうと思う。