旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ヴェネチア編その4

 トルチェッロ島を後にして訪れたのは往きにトルチェッロ島に行く為に乗り継いだ島のブラーノ島。島を降りまっすぐ進めば原色に彩られた町並みが広がる。なんでまたこんな派手派手な家にしたのかと言うと、この島は漁師の島。漁師が漁に出て戻る時、濃霧がかかっていても自宅を発見し易い様に、この様なカラーリングになったと言われる。

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 それにしても綺麗に塗り分けられている。同じ色に塗りたくても、隣同士は違う色にしなければならないとか決められているのだろうか?青や緑なら良いが、ショッキングピンクの家は男は住み難そうだが、実際住んでいる海の男は如何なものなのだろう?

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 そんなカラフルな街並みに憧れて多くの観光客が押し寄せるブラーノ島だが、良く観察すれば確かに此処は漁師の街だと実感出来る風景に出逢う事が出来る。またこの島の女性が作るレース編みはかつてヨーロッパでも名高い名産品だったが、今では人材不足により消滅の危機に晒されていると言う。

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 そんな目が眩む様な原色の家が建ち並ぶブラーノ島を後に次に訪れたのはムラーノ島。女性ならピンとくる人もいるだろうが、ヴェネチアン・グラスで有名な島だ。どうしてこの島にガラスの工房が集まったのか?

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 それには幾つか説がある。ひとつはガラスを作る行程には多くの火が使われる。火災の原因となるものが住宅の密集する本島にあっては危険だったと言う事。もうひとつはヴェネチアン・グラスはヴェネチアにとって欠かせない交易品であるから、その製法が流出しない様に職人を離島に匿っていたと言う説が残っている。

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 離島のもうひとつの特徴は本島より密度が低い事。本島の密集感に閉塞感を感じたなら離島を訪れるのも良いかもしれない。ヴェネチア北部に位置する離島を楽しんだ後は本島に戻ってゴンドラを楽しんだ。

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 ヴェネチアのゴンドラは嘗てはヴェネチアっ子の足や配達に使われていたが、今では観光の為に使われ、その代金も高額な事で有名だが、私は訪れたなら必ず乗ると決めているし、相乗りはしない。これは私のこだわりだ。

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 ボーダー柄で統一されたゴンドリーエの鼻唄と共にゆったりとしたペースで巡る運河は風情がある。運河巡りは運河がある街のいずれでも行われているが、ヴェネチアだけは格別な想いがある。通常30分コースだが1時間かけてサンマルコ広場からリアルト橋までたっぷりゴンドラを堪能した。

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 その後サンマルコ広場からヴァポレットに乗ってジューデッカ島へと渡った。ジューデッカ島はヴェネチア本島の対岸の細長い形をした島で、その名の由来はユダヤ人が暮らしていたからとか幾つかの説がありハッキリしない。

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 私は25年前ヴェネチアに訪れた時、この島にあるユースホステルに宿泊していた。大きな部屋に無数のベッドがあるドミトリーに泊まっていた。今回も此処に泊まろうかとも考えたが立地上大人気の為か、とても相部屋とは思えない強気の価格設定に断念した。

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 泊まりはしなかったが、この島へ訪れ、25年前の私の眼力も間違っていなかったなとふと思った。此処からならサンマルコ広場からサン・ジョルジョ・マッジョーレ島まで一望する事が出来る。岸壁に腰掛け暮れていくヴェネチアの風景を眺めていると、ふと25年前の記憶が甦ってくる。

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 そうだ25年前、私は此処にいた。待てよ…。25年前と言う事は、ヴェネチアからそれほど離れていないこれまで私が辿ってきた国々、すなわち当時のユーゴスラビアは、ユーゴスラビア紛争の真っ只中だった訳だ。当時の私はそんな事も知らずに此処でサンマルコの風景を眺めていたのだ。記憶の点と線が結ばれていく。

「しっかり学びなさいよ!」

 空の上からあまり聞きたくない誰かの声が聞こえた気がした。