旧ユーゴスラビアを旅する最終回

 ヴェネチア滞在も、いやこの度の旧ユーゴスラビアを巡る旅も、遂に最終日となってしまった。いつもよりも長めの一ヶ月と言う期間もあっという間の出来事だった。

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 最後に導かれる様に訪れたヴェネチアも二泊三日ではとても回りきれない程見所の詰まった街だった。マストな見所を回るだけでも十分時間がかかる。教会巡り、絵画鑑賞…ひとつひとつこなしていったら一年あっても足りるだろうか?

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 そんな中で私が最終日に選んだのは、そのどれでも無くただ街を歩くと言う事。それだけでも十分ヴェネチアは楽しい街だ。ヴェネチアを訪れる旅人は必ずサンマルコ広場とリアルト橋は訪れるだろう。そこへ行こうと思わずとも吸い寄せられる様に訪れてしまうものだ。

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 それらの場所では始終観光客で賑わっている。リアルト橋からサンマルコ広場までのメインストリートは渋滞が起きる程だ。しかしそれらを一歩外れるととても静かな通りもある。ちょっと道を尋ねたくとも人に見つけるのに苦戦する場所さえある。

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 そしてヴェネチアも人が暮らす街だから、当然下町の匂いが漂う場所もある。全く観光色の無い、市民向けの野菜を並べた屋台、地元の人々が集う食堂、洗濯物が干された路地裏。それらを見つけては嬉しく感じた。

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 それらは私が訪れた国々で形は変われど何処も共通する人々の生活があった。国々の違いを感じるのは旅の醍醐味だ。今回バルカン半島を巡り、オスマントルコオーストリア=ハンガリー二重帝国、そしてヴェネチアと言うこの地域の文化的影響を与えた三つの勢力圏、そして東方正教会イスラームそしてカソリックと言う三つの大きな宗教圏と言う大きな性格の異なる文化の違いを学び、そして楽しんできた。

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 しかし、その中でそのどれもに共通するものを見つける事もまた、旅の醍醐味のひとつである。ところ変われど、国が変われど、人々が暮らす姿、平和への想い、そうしたものは変わらない。形変われど、言葉変われど、その本質は全く変わらない。

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 旧ユーゴスラビア、25年前、血みどろの紛争が起きた地域を旅して、未だ傷跡が癒えぬ部分も幾つもあるが、そこで出会った人々の笑顔の変わらない事が何より嬉しかった。

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 そして最後にヴェネチアを訪れた。クライマックスに相応しい街だった。25年ぶりに訪れたヴェネチア、そしてその時ユーゴスラビアは紛争の真っ只中だった。そして私と母もある意味大きな紛争の中だった。もうその母もいない。

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 毎日、毎度、顔を合わせる度ぶつかっていたものだけど、その奥底ではお互い根っこで感じている事は共通していたのかもしれない。桟橋から私を乗せたヴァポレットが離れていく。サンマルコ広場の鐘楼が遠くにどんどん小さくなっていく。良い旅だった。

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「ありがとう!」

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 空に向かって小さく呟いた。

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