年末年始のお知らせ

 世の中は情報に満ちている。そして我々はその情報を自由に自分の意思で取捨選択していると思っている。しかしその裏で実は自分で選択した筈の情報に操られ、踊らされている事も数多い。

 服の流行なんてその最たるものだ。流行は決して自然発生するものでは無く意図的に操られたものだ。そう、我々は常に情報に操られている。情報の統制されていると言っても過言では無い。自分で考えた事と思い込まされているに過ぎない。

 自己責任論もテロとの戦いも典型的な情報統制に過ぎない。そりゃそれらの言い分には一理あるが、詐欺師はそう思い込ませる事が彼等の仕事だ。我々の周囲を取り巻いている当たり前的に思っている事毎も、実はそう思わさせていた方が都合が良いからそう思わされてる事柄に満ちている。

 ただ我々には物事の真実をいちいち確かめている時間は無い。例えばパソコンがどうして起動するか?日常生活するのに、どうして起動するか知る必要も無ければ、不思議に思ってもGoogleで検索し、それを鵜呑みにする他無い。とても今からパソコンの仕組みを学び検証する気にはならない。

 ソビエトが崩壊し冷戦が終わった。とそれを待っていたかの様に湾岸戦争が始まり、アメリカの次のターゲットはイスラームに、そしてテロとの戦いに移っていった。戦争はビジネスだ。軍需産業が衰退しては国の防衛が成り立たない。軍需産業を成り立たせるには常に何処かに紛争が起きて無くては成り立たない。

 テロとの戦いは為政者にとって美味しい蜜の味だ。テロリストはロシアの様に核を持っていない。国では無いから宣戦布告も必要無い、裁判も検証すら必要無い。テロとの戦いの一言で世論は動き、その翌日にテロリストが潜伏していそうな地域に、そこに、一般市民がどれだけ暮らしていようとミサイルを叩き込む。もうやりたい放題だ。

 今じゃオリンピックを誘致するよりテロとの戦いはよっぽど儲かるに違いない。その真偽は関係無い、情報操作によって幾らでも真実は作る事が出来る。現代は火の無いところで幾らでも煙があげられる。

 9・11以来イスラームに対する世間の風当たりは最高潮に達した。まさに彼等の目論見通りだ。だけど当時の私は操られていた。貿易センタービルは思い出の場所でもあったからだ。だけど一方的で出来過ぎの展開に疑問も数多く生まれた。

 本当にイスラームは悪なのか?旅人を名乗るなら自らの目で確かめてみたい。それが私とイスラームの国々の出逢いだった。以来イスラームへの旅は私のライフワークとなった。いや今は単純に私が好きだから其処を目指している。使命感に燃えて嫌なのに我慢して旅を続ける程私は高尚な旅人では無い。

 2010年5月、モロッコ、メルズーカ大砂丘にて私は広大な自然を目の当たりにし何とも表現し難い感動を味わった。この大自然を前に、人間の業等ちっぽけなものだと…。しかし一方この無限に広がるサハラを越えて商いを行ったキャラバンがあったと言う。ならば人の可能性もまた無限に近いのではないかと。そして彼等が目指した先トンブクトゥが私の夢見る旅先となった。

 しかし時の情勢は急を遂げた。10年に起こったチュニジアの政変を切っ掛けに11年隣のリビアでも政変が起こった。リビアにはトンブクトゥを含むマリの人が多く出稼ぎに出ている。これはサハラに何か起こる。私はマリへの旅を急いだ。忘れもしまい11年11月25日私のバマコ到着を待ち受けたかの様に起こったトンブクトゥでのアルカイダによる欧州人誘拐殺害事件。事態を重く見たマリ政府はトンブクトゥから全ての旅人の撤収を命じた。

 それでも諦めきれない私を、現地旅行社のアマドゥは軍人まで手配して私をトンブクトゥに導いてくれた。バマコに凱旋し自宅まで招待してくれたアマドゥに尋ねた。

「どうしてそこまでして私をトンブクトゥに連れていってくれたのか?」

 アマドゥは応えた。

「この国にもうすぐ戦争が始まる。そうでもなったら全てが終わる。旅行業だけじゃない、飲食業、お土産屋、我々は全て繋っている。そうした手を繋いでこれまで積み上げてきたものが一瞬にして失われてしまう。私の国は貴方の国の様に豊かではありません。だけど沢山の歴史的な遺産がある。私はそれを紹介する仕事に誇りを持って生きてきました。だけどこの事件以来キャンセルの連続。もうオシマイです。そんな中貴方はどうしてもトンブクトゥへ行きたいと言った。私もどうしても行かせてあげたいと思ったのです。」

 お互いの顔はもうグシャグシャだった。誇り高い旅行代理店のボスに出逢えて私の夢は成就した。しかし翌12年4月アマドゥの恐れていた紛争がマリに始まった。あれから7年、未だ大部分は退避勧告が解けぬままだ。

 サハラの北部と南部を繋いだ交易の道、その出発点と到着地点を私は旅した。しかしその行程を私は未だ見ていない。当然そのルートにあたる部分は危険過ぎて旅が出来ない。だが西側のモーリタニアに残るルートは未だ比較的安全だ。しかしそんな西ルートも今年半分が危険度が上がってしまった。そんな中残された部分に赴くツアーが催行されるのを知った。

 このタイミングを逃すまい。それは私の苦手な団体ツアーだが、団体ならでは行ける部分もある。行程上殆どの宿泊がテントとなる冒険旅行だが、サハラ砂漠と嘗てそこを歩いた旅の商人達の想いを存分に楽しんでこようと思う。

 久しぶりに海外で年越しになります。モーリタニアの首都を出ればWi-Fiは勿論電話も人工衛星を経由した衛星電話のみの世界となります。

 では行って参ります。皆様良いお年を
そして早いですがあけましておめでとうございます。