モーリタニア旅行記序章

大変ご無沙汰してしまいました。

年末年始はモーリタニアで過ごしました。そのモーリタニアに行く途中立ち寄ったイスタンブールスマホを落としてしまい、帰国後交換等により時間がかかってしまいました。

 スマホの交換より何やらかにやらの設定の復旧が面倒ですね。此処に一苦労して漸くログイン出来ました(笑)。

 さて、なんで唐突にモーリタニアか?と聞かれれば、唐突と言うより時期を逸してしまった感さえ強くあります。2010年5月、私はモロッコに旅発った。イスラームの交易路を辿った西の果て。そう思い旅したモロッコで、私は交易路は更に南に延びている事を知った。

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 モロッコ、メルズーカ大砂丘、私は其処でサハラ砂漠の途方も無い広大な世界に感動していた。ありきたりな表現だが、この大自然を前にすれば人の存在なんて、なんてちっぽけなものだろうと。そして自分の悩み等塵の様なものだと。

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 しかしながらこの途方も無い世界を旅した古の商人達がいた事を想えば、人の持つ可能性もまた無限大に近いと感じた。そしてそんな彼等が目指した場所を旅したくなった。

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 そんな彼等が目指した場所トンブクトゥ。だが2011年リビアの争乱に始まったサハラの混乱により、私の旅もまた困難なものとなった。しかしアマドゥと言う信頼出来る現地旅行社のボスの尽力により私の夢は叶った。

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 一旦夢は叶ったものの、サハラに対する想いは消えず、だが彼等の交易路は最早情勢の悪化の為歩く事は叶わない。だがサハラ交易路はただ一本の道に有らず、中でもモーリタニアに点在する古のクサールを辿る道は未だ行く事が出来る。

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 しかしながらモーリタニアと言う国は殆ど観光地化が進んでおらず、移動やら宿泊に難儀しそうな事が多く、計画が頓挫していた。そんな2018年初頭、モーリタニアのマリ国境に近い地域の危険度が増し、4つあるクサールのうちの2つが訪問出来なくなってしまった。もうウカウカしていられない。

 そんな矢先、残された二つのクサールを巡る団体旅行が催行される事を知った。団体旅行は苦手だが、団体ならでは出来る効率の良さもある。特にモーリタニアでは個人の旅で効率の良さを追求する事は不可能に近い。それよりこの時を逃すまい。

こうして18年も暮れかけた22日、私は成田へと向かった。

未だ前回のやりなおしの旅が書けていませんが、モーリタニアを終え次第再開しようと思います。