今年の抱負に変えて

 昔は年末になると日本人が好む忠臣蔵が良く放映されていたが、今はどうなのだろう?私はこの物語が余り好きでは無い。今に置き換えて考えればこうだ。嫌な上司の嫌がらせに切れて暴力で訴えた浅野内匠頭

「おいおい、藩のお頭である貴方がそんな事したら後々どうなってしまうのか良く考えなさいよ!」

 と思っていると案の定の結果で自らは切腹、藩は取り潰しorz

 それが気にくわない侍としてリストラに合った赤穂浪士自爆テロ決行と言うとても救われない物語に思うのだが…。しかし当時の江戸時代は侍は名誉を傷つけられたなら命懸けでそれに抗うのが世の定め。そのルーチンに従ったと言えばそれは美談となるのだろう。

 史実かどうか怪しいものだが、NHKかどこかのテレビ番組で以前目にしたのだが、実は討ち入りに参加する筈だったのだが、愛した人と添い遂げる為に討ち入りに参加せず生き延びた侍がいたと言う。私はそっちのエピソードの方が本筋よりずっと感動を覚えた。武士なら命を捨てても名誉を守れ!と言うのが常識の世の中で、女性と添い遂げる為に常識を破った彼は、世間からとてつもない謗りを受けたに違いない。侍を辞めるのは当然、名誉を捨て名前を変え、国々を点々として人の目から避ける様に生きなければいけなかったかもしれない。だけど現世では当然の権利を守る為、当時の常識に抗い愛に生きた彼の行動こそ、本当の勇気だったのでは無いかと私は思う。

 時代は近代に近づいても日本の常識はおかしかった。戦時中、国を守る為に命を捨てるのは栄誉ある事。それが常識だった。もちろん私も国の為に命を投げ売って守ってくれた彼等の行為は有り難い事だとは思う。でも、彼等の親達は自分の息子が戦場に赴く事を栄誉と感じ、戦死しても、「息子は国の為、栄誉の戦士を遂げました。」と述べなければならなかった。誰が自分の腹を痛め、手塩をかけて育てた子供が戦争に取られ、命を落とした事を栄誉だと言えよう。本心からそう思える親がいたとしたら、それは全くのき○がいだ。

 しかし、それに抗う事は当時は常識が許さなかった。だからこそ与謝野晶子が唄った「君市にたまう事なかれ。」と言う言葉はとても重みを感じる。

 常識、正義、そうした言葉は普遍なものでは無い。時代が変われば常識も変わる。ところが変われば正義も変わる。子供が苛めで命を落としてしまうのは、子供は世界が狭く、学校と家庭だけが彼等の世界であり、常識である。そこでつまづいてしまう事は彼等にとって、世界の終わりとなってしまうからだ。いや大人だって同じかもしれない。日本と言う小さな島国の世界から見ればガラパゴスの様なこの国の常識に縛られ生きていれば、息苦しく感じる部分も多い。

 しかしいざ日本を離れ世界を歩き回って、常識や正義、そして価値観は普遍なものでは無く、多様性に富んでいる事に気づく。いろんな生き方があって良いのだ。私達は常識に縛られて生きていくべきでは無い。いや時にその常識や正義を疑い抗う事こそ本当の勇気なのかもしれない。

 アンテナは常に広く持ち、回りの価値観に流される事無く、自分の価値観、正義を持って生きていきたい。大好きな歌の一文を以て今年の抱負に変えさせて頂
く。

To be a rock 
and not to roll