零戦

 零戦は第二次世界対戦の名機として誉れ高い。本当にそうだろうか?零戦が名機と言われる理由は航続距離と旋回性能に寄る。大戦開始当時の戦闘機の戦いは如何に敵機の背後を取るかにかかっていたから、とりわけ旋回性能に優れた零戦が有利に戦闘をこなしたのは間違い無い。しかし零戦はその代償として、パイロットの命を守る防御力を犠牲とした。

 零戦のその華々しい活躍は、パイロットの技量に依存したものだった。零戦はその旋回性能を十二分に発揮出来る操縦技術を持ったパイロットの腕によって名機となれたのだ。

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 しかし大戦末期には零戦は余りにも簡単に撃墜出来るので、「七面鳥を撃っている様だ。」と米軍に揶揄された程だった。(七面鳥はとても簡単に狩れるらしい)

 開戦当時は向かう所敵無しだった零戦が、どうしてそこまで地に墜ちたのか?

 物資に優れた米軍が繰り出す新兵器等、物質的側面も大きい。しかし私はそれだけとは思わない。

 開戦当時日本は中国との戦いで経験を積んだ熟練パイロットを抱え、未だ経験値の乏しいアメリカ空軍を圧倒した。しかし防御力を無視し続け、月月火水木金金の出撃の中、熟練のパイロット達は一人、また一人と散っていった。その穴を埋めるべく新人パイロット達では、零戦の持ち味の旋回性能を十二分に発揮する事は到底叶わず、それ以上に零戦の弱点である防御力の弱さばかりが浮き彫りとなった。

 手薄な防御力に新米のパイロット達が撃墜されれば、再び新米のパイロット達で穴埋めする負の連鎖の無限ループ。対するアメリカは始めこそ熟練したパイロットは少なかったが、防御力を固めた戦闘機を使い、シフト制の出撃で十分休養を得たパイロット達が生還すれば、彼等は経験を積み、やがて熟練したパイロットに成長した。

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零戦キラー グラマンF6Fヘルキャット
 日本は大戦後期、物資だけでは無く、人的技量でも圧倒的に引き離されていた。こうした最前線で戦う人の命を無視した結果が日本が自らの頚を絞める大きな要因になったと私は感じている。

 戦争は終わり、最早70年以上の月日が過ぎ、日本は見違える程豊かな国となった。しかし今日、非正規雇用が労働者の多くの大半を占め、巷に溢れるブラック企業云々を耳にする。非正規雇用は短い期間で見れば企業の利益に貢献するが、その割合が増えすぎれば、長い目で見た時、国の労働力の質の低下を招く。ブラック企業の下では国民はゆとりを持てず、これも長期化すれば国の活力を削ぐ要因にしかならない。

 そんな風潮を見聞きしながら、私は未だ日本は零戦気質を抜け出せていないんだなと感じる。

 日本は経済的にも技術的にも欧米と対等以上に豊かになった。一方休暇や福利厚生に於いては欧米に遥かに劣っている。日本の企業戦士達は未だに薄っぺらな防御力の零戦に乗って経済戦争の空中戦を繰り広げている。