ジャズ

 クラシックをこよなく愛し自身も地元の楽団でバイオリンを弾いていた母は、私にもクラシックを教えようと願っていたのだろう。私は幼い頃ピアノを習わされていた。しかし近所の友達達との遊びに夢中になって、いつしか母と大喧嘩してピアノを習う事を私は拒否してしまった。

 母は子供を自分が敷いたレールの上を走りたがらせるタイプだったが、そんな教育方針は私の反骨精神を養うばかりで、事ある毎に私と母はぶつかっていた。私の好きなものは母の嫌いなもの。私の嫌いなものは母の好まないもの…。

 年が進めば、当然私の好む音楽はクラシックには耳も貸さず、反骨精神の象徴とも言えるロック、ハードロック、そしてヘビメタへと傾倒していった。当時はジャズなんて大人が好むキザな音楽程度に感じていたが、あるきっかけからジャズを知り、その反骨精神そのものの歴史(黒人達が差別と戦った)を知った時、私はジャズの魅力に取り込まれ、狂った様にジャズを聞き捲った。

 当時のジャズマン達の生き方は壮絶だった。ジャズにはラスト・デイトやラスト・レコーディングと名付けられたアルバムが多い。現代の音楽ならバンドの解散を意味する題名だろうがジャズの場合は違う。彼等が亡くなる本の数日前のレコーディングだったりする。彼等は命を削りながらジャズと取っ組み合いをしていたのだ。

 彼等をそこまで魅了したジャズの魅力とはいったいなんだろう?その一つにジャズが持つ寛大な精神があると思う。例えば音楽的に普通欠点と思われる部分でも、それが魅力的に映ればそれは寛大に迎え入れられた。

 私の好きなジャズメンにジャッキー・マクリーン氏がいる。彼のアルト・サックスは微妙に音程がずれる。更に音に特有な濁りが混じる。共にクラシックなら即アウトな表現方法だ。しかしジャズは元々黒人の訛り、即ちブルースから派生した音楽であるから、彼の微妙なズレも、独特な濁りもジャズでは彼の持ち味となって、彼はハードバップ、フリージャズ期にジャズ界を引っ張っていく人物となる。

 そんなマクリーンの日本に於ける代表曲と言えば「レフト・アローン」だろう。ピアニスト、マル・ウォルドロンは敬愛していた歌手ビリー・ホリデイのピアニストになる事を夢見、そしてそれを叶えたが、そんな矢先ホリデイは他界してしまう。彼女の代わりになる歌手なんていない!ウォルドロンは歌手では無くマクリーンのサックスをアレンジして彼女の為に書いた「レフト・アローン」を録音した。


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 もし独特の重みあるウォルドロンのピアノではなかったら、独特の濁りがあるマクリーンのアルトじゃなかったら、「レフト・アローン」は其ほど日の目を見なかったかもしれない。

 また、ジャズ界の特徴としてジャズの巨匠と呼ばれる人の多くに障害を抱えたミュージシャンが多い事が挙げられる。

 ビバップ前夜の大物ピアニスト、アート・テイタム全盲に近かったが、クラシック界の巨匠ホロヴィッツまで驚嘆させる程の技巧を持ったピアニストだった。ジャンゴ・ラインハルトは自宅が火事になり、妻を助けようとして左半身に大火傷を追い、ギタリストとして致命的な左手の二つの指の機能を失ってしまった。しかし不屈の精神でそれを克服し、ジャズギタリストの神様的存在まで登り詰める。モダンジャズ・カルテット作曲のジャズ・スタンダード「ジャンゴ」は彼に捧げられた名曲だ。


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 ハードバップ期の名ピアニスト、ホレス・パーランは子供の頃に小児麻痺を患った為、トリルを上手く弾く事が出来なかった。しかしそれ故に粘りある彼ならではの奏法を編み出し数々の録音を後世に残した。

 その他、バードランドの子守唄の作曲者ジョージ・シアリング、骨形成不全症のピアニスト、ミシェル・ペドリチアーニ。ローランド・カーク、MJQのデヴィッド・マシューズ…数えだしたら暇が無い。


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 当時のジャズは欠点や障害と言ったハンディキャップをも個性に置き換えられる寛大なる音楽であった。その理由には完成形であるクラシックと比べ、ジャズは未だ生まれて間もない音楽。成長期の子供が栄養を摂ってみるみる内に育つのと同様。様々な要素を取り込んで変革を続けた、成長期にあたっていたからかもしれない。そして、ジャスは強烈な差別を受けていた、弱い立場の苦しみを痛いほど知っている黒人達が編み出した音楽。だからこそ、ハンディを背負った人々が希望を託せる場所だったのかもしれない。だからこそ彼等は自分の命を削ってまでジャズを奏で続けたのだろう。

 今宵もジャズは優しく私の心に染み込んでくる。我々の社会もジャズの様な社会であったならと思う。