泣いて馬謖を斬る

 中国史に於いて日本で最も人気があるのが三國志の時代、魏、呉、蜀の三カ国に国が分裂し覇権を競った。そんな中で小説三國志は一番脆弱だが、漢王室の復興を旗印にした蜀を率いた劉備を主人公とした物語だ。

 物語終盤、最早蜀の劉備は他界し諸葛亮孔明が一身に後事を託されていた。彼は宿敵である強大な魏を討伐するに当たって腹心の部下馬謖に先鋒を任せた。

 しかし馬謖は自分の実力を過信して孔明の策を無視して、自分の判断で行動し、結果蜀軍は魏軍に大敗を喫してしまう。

 馬謖は小国の蜀にとって貴重な有能な人材であったと共に、孔明の親友の弟でもあった。しかし軍律を破った馬謖を許してしまえば、軍はガタガタに崩れてしまう危険性を孕む。

 こうして孔明は泣いて馬謖を斬ったのである。以降「泣いて馬謖を斬る」とは「全体の規律を守るためには、たとえ愛する者であっても私情を捨て、涙をのんで処分すること。」を指す故事となった。

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 先日撫子ジャパンが惜しくもオリンピック予選敗退が決定した。敗因は様々論じられているが、その中で監督と選手達の不協和音が指摘されている。

 絶頂期にはまるでファミリーの様なチームが絶賛されたが、それが行き過ぎてしまったか?監督を「ノリさん」呼ばわりする選手は監督の指示を聞かず、監督もまた意固地になって、チームの足並みは不揃いだったと聞く。

 こうしたナァナァな雰囲気だけでも「泣いて馬謖を斬る」事が出来ていたら結果も変わっていたかも知れない。

 昨今友達同士的親子とか仲睦まじさだけが表舞台に取り上げられるが、そんな時代だからこそ「泣いて馬謖を斬る」事も重い響きとして心にしまっておきたい言葉だと思う。