地雷を踏んだらサヨウナラ

久々になってしまい申し訳ありません

 職業安定所に提出される求人の虚偽に関する訴訟のニュースを読んだ。仕事から帰宅中に事故に遭い亡くなった子供の母親が起こしたものだ。

 母親の子供は職安で仕事を見つけ、やっと仕事に就けた事で希望を感じていたと言う。しかし実際仕事を始めてみると、職安で確認した条件とは全く違っており、最初はアルバイトとして認められたら社員に昇格されるとの事。彼はそれでもめげずに頑張って仕事を続けた。マイカー通勤禁止の筈だったが、結局仕事では使わざる得ない状況が多く、彼は原付で仕事に向かう毎日、残業は月20時間と記載されていたが、彼が漸く社員として認められる頃には月平均134時間の残業の日々、そうした過酷な労働の末、帰宅途中に彼は注意力の限界を超え帰らぬ人となった。

 そして母親が職安に於ける就労条件と実際の内容が余りにも異なる為、告訴したと。しかしそれを罰する規定はあっても、これまでそれが適用された実例が無く、死文化された規定でもある様だ。この実例がそんな横行する虚偽の人材募集に風穴を開けられるか?母親の孤独な戦いが始まった。

 彼の様に過酷な労働の末に注意力を使い果たした上で起きた不幸。それは様々な場所で繰り返される。先日起きたスキーツアーの悲惨な事故、繰り返し報道される介護施設での所員による暴行、世間では彼の不注意や事件と言う事で解決され忘れられていく。しかし果たして蜥蜴の尻尾を切ってしまえばそれで問題は解決されるのだろうか?

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 例えばスキー事故では規制緩和が過剰な価格競争を生み、消費者の安さを求める声、そして今年は暖冬によるスキー客の減少によるスキー場からの激しいダンピング。こうした安さを求める力の全てを、下請けであるバス会社が被る格好になった。

 長距離バスの労働条件はこうした事から人材不足が深刻で、就労者は他の仕事に移れない高齢者が殆どの状態、そうした中で事故は起きた。

 介護施設の暴行も同じ構図にある。常態化した人材不足の中、介護士一人一人の負担が限界を超えた時、正常な心を失ってしまって起きた事故なのだと私は受け止めている。世間はその介護士一人の凶行の様に受け止めたり報道されたりするが、誰が老人を虐待しようと介護の仕事を目指すだろう?誰が過剰なスピードでガードレールに突っ込もうとしてドライバーの職に就くだろう?

 構図は全く同じ、慢性的な人手不足、安い賃金、それに見合わない過酷な労働環境、無理に無理を重ねた結果自爆・・・

 社会の様々なニーズが一番弱い立場にのしかかった結果だと思う。とても他人事には思えない。

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 どんな頑丈な金属も、片寄った過重を長期的に与え続ければやがて金属疲労を起こし折れてしまう。人だって同じ事。過度なストレスをかけ続けられていれば、いつか必ずミスを侵す(地雷を踏む)。地雷を踏んだ蜥蜴の尻尾を切るのでは無く、その地雷を撒く仕組みを無くさない限り、いずれまた新しい蜥蜴が地雷を踏み、新たな犠牲者が増えるだろう。

 今、儲けを、安さを優先して、現状を貫き、地雷を撒きつつ「地雷を踏んだらサヨウナラ」の社会にするか、勇気を持って地雷撤去に取り組むか?決断の時かもしれません。

犠牲者の冥福を祈り、再び同じ事が繰り返されない事を願います。