挨拶

 仕事で時折バスに乗る。私の地域のバスは昔は荒っぽい事で有名だったが、こんな風潮の昨今は結構丁寧になった。どう考えてもこうしたサービスに慣れてなさそうなゴツ目の運転手さんが停留所や注意喚起を事細かくアナウンスしている。

 停留所に到着すれば運転手さんの不器用な挨拶が空しく繰り返され、無言で降りてゆく客がタッチするICカードの乾いた音がただ木霊する。なんだかなぁと感じていると、保育園で教わったのか幼い子供が

「ありがとうございました!」

 と挨拶を交わし降りていった。途端モノクロな車内がパッと鮮やかさを取り戻した様な気がした。

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 日本でどんなサービスでも、サービスする側は勿論挨拶をするが、お客は挨拶を返す必要は無い文化の様だ。何故ならお客様は神様だから。それとアメリカを真似して導入された大店法により、企業と客の間に決定的な距離が出来た事もその理由に挙げられるだろう。でもそんな気持ちでヨーロッパへ行くととんでもない事になるから注意した方が良い。

 ヨーロッパは、アメリカや日本と違い個人経営の店が殆どでコンビニも少ない。店とは言えそこは他人の家、そこに入る時は客側から挨拶を交わし、商品を見せて貰うのも客が一声かけるのが礼儀となっている。そんなヨーロッパの店に神様である日本の客が向かえば、何の挨拶も無しに店に入り、勝手に商品に触り捲り、挨拶も無しに出ていってしまう。非常にマナーの悪い客として嫌われている事をご存じだろうか?

 日本はほぼ単一民族のまま存続してこれたが、大陸では異民族が衝突を繰り返して今日に至る。そんな歴史があったからか、非常に挨拶を大切にする。アフリカの国では挨拶に4~5分使う民族までいた。

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 観光シーズンになると超混雑する観光電車の駅員を補助する仕事をした。これは祭りと一緒、「ありがとうございました!」と大声を張り上げて群がる客を捌いていた。承知はしていたが、皆誰もそれに応える事無く目指す場所へ向かっていく。中にはそんなのググれよ!ってな質問を投げ掛けて、自分の用が満たされると謝意の言葉も残さず去っていく。此方もやはり人間、テンションが下がり始める。

 そんな時そこは運良く外国人観光客も多い土地柄、ヨーロッパかららしい観光客がやって来た。私は英語に代えて「Thank-you very much!」と挨拶を交わす。するとどうだろう。相手は私の目を凝視する様に見つめて同じフレーズを返してくれる。一人では無い、誰もがだ。機械的になりかけていた私が今度は慌てて「Welcome? ○○city!」と返答する。最初は戸惑いながら入国したイエメンで、短刀提げた武骨なイエメン男子にウエルカム!って優しく微笑んで迎えられた時は嬉しかったものなぁ・・・。

 それにしてもヨーロッパの人々の挨拶は心が籠っていて、一気に下がりかけていたテンションを持ち直す事が出来た。

 ヨーロッパに限らず東南アジアから来た観光客も、ホームを間違えてウロウロしているところを私が「○○方面かい?逆のホームだよ!」と英語で話すと、満面の笑みで手を降ってくれた。それに比べていつから日本人は挨拶を忘れてしまったのだろう?

 こうした仕事をしてつくづく感じる事がある。挨拶は些細な一言の様に見えて実はとっても力がある。時に折れそうな心を一瞬にして蘇らせ、時に「バカ野郎!」「ぶっ殺すぞ!」と言う言葉以上の破壊力を持つ。

たかが挨拶、されど挨拶。