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イスラーム教徒はどうして豚を食べないのか?
(パキスタン 夕陽)
良く聞かれる質問ではあります。そんな時、私は問い直したくなります。
「どうして日本人は犬を食べないのですか?」
「当然だろ!」
との叫び声が聞こえてきそうですね。犬は太古は狩猟の共に、そして現在は愛玩としてだけでは無く、盲導犬を始め犬は人間にとってかけがえの無いパートナーとなっています。勿論私も犬が大好きでとても食べる気にはなりません。
(江ノ島 日本 夕陽)
しかしながら生物学的に犬は毒を持っている訳ではありませんから当然食べる事は可能ですし、犬を食べる習慣がある国もあります。つまり常識とは国によって変わるものであり、我々が犬を食べない様に、牛を食べない国もあれば豚を食べない国もあって当然なのです。でもそれでは答えになっていませんから、ちょっと此処で考えてみましょう。
(ビエンチャン ラオス 夕陽)
イスラーム教徒はどうして豚を食べないのか?実際のところ、本当の理由は諸説ありハッキリしないのが現状です。しかし幾つか理由として考えられる事があるので辿っていきましょう。
(タリファ スペイン 夕陽)
先ずイスラーム教は性的な事に非常に戒律が厳しい宗教です。豚は他の動物と違い特定の発情期が無く人間と同じく常時性交を行います。常時情事を重ねるそんな習性の動物を忌み嫌ったとしても不思議では無いでしょう。
(エルサレム 夕陽)
また、太古の時に豚を宿主とした流行病が流行ったのでは無いかと言う説。イスラーム教の食事に関する戒律はハラールと呼ばれ、豚を食べない以外にも調理法等が細かく定められていますが、屍肉を食べない、生き血を食用しない等、現代でも衛生的に問題がある行為を制限したものが殆どです。つまりイスラームのハラールとは当時の食品衛生法的な役割だったと考えられるのです。
(バンコク タイ 夕陽)
これから推測するに豚は不衛生な環境でも強い生物ですが、当時の環境や習慣下では、そんな不衛生をきっかけに流行病や寄生虫の被害を出す事が多かったので禁じられた可能性があると思います。
(ザンジバル タンザニア 夕陽)
更にイスラーム教が生まれた立地、即ち砂漠にもヒントが隠されていると思います。砂漠では耕作は非常に困難です。彼等が好んで食べる肉として羊があげられますが、その理由の一つとして羊は草の葉しか食べず、芽や根が残る。だからそこに生えていた草は来年にも生き延びるから、痩せた大地でも育てやすかったからと言う理由があります。
(セグー マリ 夕陽)
そこから推測すると豚は雑食性であらゆるものを食べ尽くしてしまいます。砂漠の大地で恒常的に豚を飼育する事はイスラーム教創成の時期にはデメリットが多かったからと言う考え方も出来ます。
(香港 朝陽)
ちょっとは納得頂けたでしょうか?どんな摩訶不思議に思う風習にも歴史を辿ればそこに確かな理由があるものなのです。しかし異国の特異な風習を目の前にすると我々は何故変な風習だと感じてしまうのでしょうか?
(アスワン エジプト 朝陽)
ある学者の説によると、猿くらいの生物では、他のグループが芋洗いをしているのを見て、それがメリットがある事だと悟ると、所謂猿真似をする。ある意味素直に損得で思考するのだけど、それが人類になると、異なるグループが自らと違う行動をしているのを見ると、それをネガティブに捉える習性があるのだそうです。
(パリュミラ シリア 朝陽)
そんな習性を知ってか知らずか、世の政治家と言う老い耄れ供は、民族、宗教、歴史観、そうした人々が持つ違いを煽り、火の無いところに煙を起こし、様々な紛争を作り上げては金儲けに励んできました。特にこの一年は各地でテロが起こり、その報復と称して爆撃が続き、真っ向から互いの違いを否定し合うかの様な動きが相次いで、私としては歯軋りが止まらない様な一年でした。
(バガン ミャンマー 朝陽)
だから来年は、もし違いに?を感じたのなら、それをネガティブに感じる前に一歩踏み留まって、その違いのルーツを探ってみて欲しいのです。どんな一見変な風習に見えるものがあったとしても、そこには原因があり、そこに住む人々の知恵がある。それに気づいた時?は!に変わるでしょう。
(ヒヴァ ウズベキスタン 朝陽)
違いはネガティブな関係を築くために非ず、違いは新しい思考を学ぶ為に在る。その違いを楽しむ事こそ、つまり旅。来るべき一年が多くの国の相互理解に建設的な一年である事を切に祈って。
(ボロブドゥール インドネシア 朝陽)
本年も当blogにお越し下さり誠に有り難う御座いました。皆様の素晴らしい年越しを祈っています。また年を明けてお越し頂いた皆様、明けましておめでとうございます。そして来年も(今年も)此処で逢える事を楽しみにしています。
(スース チュニジア 朝陽)
さっくん