パキスタン旅行記13最終回

 ガンダーラ遺跡タキシラを後にしてイスラマバードに隣接する町ラーワル・ピンディのバザールを散策した。夕暮れが近づき街にアザーンが響く。

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(デコデコバス)
 前回話した通り、仏教もキリスト教も、故郷を離れた時に、偶像を拝まないと言うスタイルを脱却し、仏像やキリスト像、そして宗教画を大胆に取り入れる事で世界的宗教へと成長していった。それは言葉も文化も違う国々で偶像や絵画を使って宗教の特徴を伝えた方が遥かに伝わり易いからだ。

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(ラワールピンディ ラジャ バザール)
 そう考えるとイスラームの特異性が改めて浮き彫りになってくる。イスラームは偶像をあらゆる意味で否定している。コーランアラビア語以外の翻訳を許さない。ある意味一番異文化の人々にとって理解し辛い、伝え辛い宗教と言える。

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(ラワールピンディ ラジャ バザール)
 しかし現在カトリックと方を並べる程の世界的宗教として広がりを見せている。何故イスラームは頑ななスタイルのまま、世界的な宗教へと成長出来たのか?私は幾ら推理を働かせても、そこでただ感嘆するしか無いのだ。

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(ラワールピンディ ラジャ バザール)
 バザール散策後、今回の旅の特典として一般家庭の食卓でご馳走される事になっていたのだが、なんと聞けば現地旅行会社の社長の家との事。慌てるのは此方の方で、ありきたりなお土産を用意してしまっていた。

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(ラワールピンディ ラジャ バザール)
 子供に折り紙を渡すと、案の定以前誰かから貰っていたのだろう、奥から折り紙の教本を持ってきて、早速風船を作ってる。やってしまった!と思いつつ少年に次は何を折ろうか?と声をかけると悩んでいる。

「鶴を折ろう!」

 と言うと、以前挑戦して難しかったのかモジモジしている。そんな少年を励ましつつ、実は私も良く解っちゃいない。教本を横目に二人で鶴を折る事に夢中になった。

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(ラワールピンディ ラジャ バザール)
 家族に見送られながら空港へ向かった。ガイドにお礼を残し見送られるが、早すぎたのかゲートを通してくれない。ゲートが開くまで待つと言い張るガイドを、疲れているのだからと逆に見送って、ゲートが開くまで空港をぶらついた。

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(写真をねだられるシャーサックーン(笑) シャリマール庭園)
 そんな私に声をかける男がいる。聞けばタクシーの勧誘だ。気づかないうちに私は到着ゲートまで歩いていた様だ。空港で客待ちするタクシー運転手は大抵ロクな者では無い厄介者だ。隣のインドのインチキタクシーなんかに捕まったらボッタクリのフルコースだ。

「いやいやゴメン、私はこれから出発なんだ。」

 と早急に立ち去ろうとすれば

「なぁんだ!じゃあ一杯チャイでも飲もうよ!」

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(バドシャヒーモスクにて)
 こうなったらもう毒喰らわば皿までだ!彼に連れられるまま近くの喫茶店でお茶を飲む。ビスケットも頂きつもる旅話をしていれば、あっという間にゲートが開く時間が来た。

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(バドシャヒーモスクにて)
「行かなくちゃ!幾ら?」

 と聞けば、待ってましたとばかりに

「お代は要らないぜ!」

 この時ばかりは、せめて少しは格好つけさせてくれとばかりに私の愛飲するゴールデンバットを差し出した。

「日本の一番安いタバコだけど一番美味いタバコだ!」

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(バドシャヒーモスクにて)
 彼に見送られながらゲートに向かう。パキスタン、四代文明に始まって、西はギリシャから仏教の東洋への伝達迄リンクするガンダーラ、そしてムガル帝国の興亡、私の大好きな歴史がぎっしりと詰まった旅だった。

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(バドシャヒーモスクにて)
 でもそれは出発以前に解っていた事。だけど度重なる不幸な情勢に足踏みしていた。しかし現地を実際旅して見なければ決して解らない事がある。

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(バドシャヒーモスクにて)
 其処にどんな人達が暮らしているのか?其処はどんな街なのか?そして私が訪れ、触れる事で私の心にどんな化学変化が起きるのか?

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(夕暮れのバドシャヒーモスク)
 へっぴり腰の蛙は勇気を出して島国日本と言う井戸を飛び出してパキスタンへ向かった。そこで体験した事、導きだされた答は

「もう説明するまでも無い。」

 ゲートで彼と固い握手を交わす。現地語でサヨナラを言おうとするが、折角覚えたのにもどかしい程出てこない。そして咄嗟に頭に浮かんだ、ワガ国境で覚えたその言葉をサヨナラ代わりに口にした。

パキスタン!ジンダバード!!(万歳!!)」