モーリタニア旅行記6ウアダンから世界の中心へ

大変ご無沙汰してしまいました。
漸く戻れたと思ったら今度はYahoo!ブログが今年で閉鎖との事。
ビックリするやら何して良いやら。
引っ越し先を考えねばなりませんね。

では続きを書いていこうと思います。

 本日はウワダンを見学する。ウワダンのオーベルジュに宿泊しているから移動は簡単だ。ウワダンは丘の斜面に旧市街が建てられている。しかし砂漠化そして疫病や災害等の原因で住民が激減し、この地方の中心都市であるアタールに引っ越してしまった為、現在は廃村となっている。

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 だが数は多くないものの、丘の上に新市街を建設し、現在のウワダン市民は全て其処で暮らしている。旧市街はユネスコによって管理され、人が暮らす事は無い。

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 我々は丘の上の新市街から旧市街へと入った。その丁度境目に旧市街の新しいモスクがあり、シンゲッティ同様モーリタニア様式のミナレットが聳えている。シンゲッティのモスクより一際高い。

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 其処から斜面に沿って築かれたウワダンの街を坂を下りながら見学する。もう殆どの家の屋根は無い状態だが、返ってそれが過ぎ去った栄光の日々を良く物語る。坂の下には城壁が築かれ、嘗て守りが固かっただろう街の様子を今に伝える。その先では今でも夏目椰子が繁るオアシスがあり、それがウワダンを繁栄させた要因となる。

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 シンゲッティがモーリタニアの宗教と学問の中心なら、ウワダンはモーリタニアの経済の中心と言えるかもしれない。ウワダンからサハラ砂漠を東に向かえばタガーザと呼ばれる現在マリ領の塩田に突き当たる。この塩田で採れた塩とマリで採れる金を等価交換した貿易こそサハラ交易の花形だった。これはモロッコのアラブ人とマリのアフリカ人との交易だったが、塩田と近い立地に位置するウワダンは、この塩金貿易の通過点として多いに繁栄した。勿論シンゲッティと同じく、大航海時代が訪れると街は寂れ、そしてサハラ砂漠に埋もれていった。

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 坂を下れば時おり表札が張られた家屋がある。かつての賢者の家であり、彼等はハッジを達成した人だと言う。ハッジとはイスラームでマッカ(メッカ)の巡礼を達成する事を指す。当時、此処からマッカ迄の旅を達成する、つまり生きて帰ってくる事の困難さは現在の比では無い。

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 現代でさえモーリタニアへ行くのに躊躇して、団体ツアーに頼らざる得なかったと言うのに、駱駝くらいしか移動手段が無かった当時、此処からサハラ砂漠を越え、アラビア半島の奥地まで旅を続けた彼等を思えば、イスラーム教徒で無くとも旅人として敬意を表さずにはいられない。

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 ツアーメンバーは街の説明が終わると、砂漠の薔薇を採集しに砂漠へと向かったのだが、交易都市を存分に味わいたかった私は独りこの街に残って散策を続けた。坂の斜面に作られたこの街からは、こお街を潤したオアシスを一望出来る。そんなオアシスを眺めながら過ぎ去った栄光の日々を思った。そしてウワダン、シンゲッティと続いて、そしてサハラ交易の終着駅、トンブクトゥの方角を眺め、嘗て旅したトンブクトゥへの旅を振り返った。

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(素敵なオーベルジュ宿)
 ツアーメンバーとホテルで合流し、ウワダンを後にした。ゴツゴツとした荒野を抜けて目指すはゲルブ・アル・リッシャ。サハラ砂漠の目、若しくは地球の目と呼ばれる場所だ。もしアンドロイドのスマホをお持ちなら、Googleマップを開いて欲しい。そしたら航空写真モードにしてモーリタニア中央部を見て欲しい。確かに目が見えてくると思う。親切にくっきりと眉毛まである。ちょっと青いから地球は白人さんなのだろうか?本当に笑ってしまう程目なのである。

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 良く見るとシンゲッティもウワダンもこの目の中にある。シンゲッティは涙腺あたりだろうか?そう、地球の目は地球の目だけあってとてつも無い大きさなのだ。だから地球の目に行ったとしても、目を見る事は出来ない。見たいとするなら宇宙に行かなくてはならない。それほどの大きさなのだ。(宇宙飛行士の間ではこの地球の目は有名な存在だったと言う。)

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 しかし見る事は出来なくとも感じる事は出来る。私も最初は感動出来るか半信半疑ながら其処へ向かった。先ず外輪山を越す。山自体はそれほど高くなく小高い丘程度だ。発見当初はその丸い形状から隕石の衝突説が唱えられたが、隕石による鉱石が全く発見されない事と、衝突したと家庭すると外輪山が低すぎる事から現在では隕石衝突説は否定されている。

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 今一番確定的に言われているのは火山噴火説と地形が環状に隆起した説がある。突飛も無い仮説で幻の都アトランティスだった説もある。これはアトランティスも環状の構造を持った都市だった事と、その半径がほぼ一致する事を理由としている。

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 我々の乗る4WDは幾つかの内輪山を越え遂に地球の目の中心となる山へと向かった。Googleマップで見た白人さんの様な不自然に青い目の青は、多分この地域にある櫟の色だ。近づくと黒いのだが、ある角度から眺めると緑色に見え、遠目に見れば芝でも生えているかの様にさえ見える。

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 そして地球の中心、Eyes of the World、すなわち世界の中心に我々は到着した。多分色々な観光地はあれど、今なら写真でその凄さを簡単に伝える事が出来る。でも時に写真では伝えきれない風景もある。此処はそんな数少ない例のひとつだと思う。

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 半径25キロに及ぶ大荒野の向こうに外輪山が周囲を囲んでいる。賢いツアーメンバーはビデオを駆使してクルクル回っていた。いやそれくらい凄い。これは幾ら広角写真でも一枚の写真には収めきれない。半径25キロ、つまり直径50キロの何も無い荒野の中心にポツンと立った山の上に我々はいるのだ。さぁ世界の中心で何を叫ぼう?

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 今宵はそんな中心から少し離れた荒野でキャンプ。また大好きなアフリカの木を眺めつつ一日が終わる。

4トラヴェルでも掲載しています。
(写真点数が多いです)
https://4travel.jp/travelogue/11450477