モーリタニア旅行記その4ザルガ山へ

 翌朝早めに起きて朝食迄の時間に砂丘を登った。どうせ朝食の後にもう一度みんなで登るのだが幾ら団体ツアーでも独りきりになれる時間が必要だ。

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 陽の昇る前の砂丘は無彩色の世界でまるで何処か他の惑星に降り立ってしまったかの様な錯覚を覚える。しかし一旦陽が昇るとみるみるうちに砂丘が赤く染まり、まるで生き物の様に蠢く。そんな瞬間が私は好きだ。

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 朝食を終えみんなでもう一回り砂丘を回った。一瞬一瞬同じ光景でも色合いは変わる。夕陽と朝陽では砂丘の風紋に出来る影は反対方向となるので朝と夕では砂丘の表情は一変する。ひとしきり砂丘を楽しんだら再び4WDに乗り込んで移動を開始する。

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 荒涼とした大地を駆け抜けた先の見晴らしの良い場所でストップした。この場所はかつてパリ・ダカール・ラリーのコースだったと言う場所だ。そんな場所でランチを取ってパリダカのコースを疾走した。この場所をかつてランチャやセリカ、ギャランやインプレッサパジェロ等が凌ぎを削ったと思うと興奮した。パリダカはこの道を走り、ゴールであるセネガルの首都ダカールを目指したのだ。しかしそんなパリダカサハラ砂漠の治安悪化に伴い舞台を南米に移してしまった。

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 途中の村の井戸で生活用水を補給する。放牧民達もヤギに水を飲ませる為ヤギの大群を引き連れていた。モーリタニアはアラブ人と黒人の混血の人々が大半を占める。度合いで言えばアラブ系が強いベルベル人の系列に近い。我々には肌の色合いから黒人と判別が難しいが、顔立ちを見ると明らかにアラブ人に近く、ネイティブな黒人とは大分顔立ちが違う。

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 モーリタニアは周囲の国同様フランスの植民地であったが、ネイティブ・アフリカンの暮らすセネガルとは分離独立に成功しそれぞれの道を進めたので、マリの様な民族紛争の火種を抱えずに済めたのはアフリカに於いて幸せだったと言える。

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 砂漠地帯に暮らす人々は殆んどが放牧民であり、何ヵ所かに常設型テントを築き移動しながら暮らしている。途中そんな放牧民の暮らす村を訪れながら旅を続けた。モーリタニアは走れど走れど川が無い。かつてはあった時代もあった様だが、砂漠化が進み、暑過ぎて川は干上がってしまい地上には存在出来ない。

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 モーリタニアに存在するの水は殆んどが地下水脈と言う事になる。そんな地下水脈のある場所に木々が生え、そこがオアシスとなり、其処だけが人の暮らせる場所となる。そんな過酷な環境を遊牧民達は家畜を引き連れながら移動しながら暮らしている。

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 コースは一旦舗装の道に戻ったがそれも束の間再びダートを走り、本日の宿泊地ザルガ山の麓に到着した。印象的な形をした岩山ザルガ山も美しかったが、私の目を釘付けにしたのが、別段珍しくもない普通の木々。バオバブでもなければ、これと言って特別でも無いのだが、この過酷な大地に根を下ろすアフリカの木々はとても心に響くものがある。これ以降アフリカの木々を写す事が今回の旅のテーマのひとつにもなった。

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 アフリカと言えば、サハラ砂漠と言えば、暑いと言うイメージを持つかもしれないが、砂漠は乾燥しているので寒暖の差が激しい。年末と言うこの季節、夜は日本と同様に迄冷え込む。特に今夜はとても冷えた。

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