インド旅行記後編7

 十年振りにカジュラホー村を訪れた。いつだって未だ見ぬ国を目指す私が、トランジット以外で再訪出来る機会を持てる事は珍しい。だからこその期待感もあった。

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 ホテルを出れば以前と変わらぬ長閑な風景が私を楽しませてくれた。少し歩けばインド人が話しかけてきた。長閑な村道を遺跡目指してインド人と語らいながら歩む。しかし少しすると話の内容が胡散臭くなってきた。そう、ガイドの勧誘だ。

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 モロッコ、エジプト、インド…この三か国はバックパッカーの愛すべき強敵でもある。こうなるとインド人はしぶとい、しつこい、正直言ってウザい。やっとの事で降りきると次の刺客が現れる。そうやってなんとか遺跡の入り口まで辿り着くも、物売りやガイドの押し売りに阻まれて先に進めない。遂に私は切れてしまった。

「It's none of your business!

(余計なお世話だ!)

 アジアで大声で怒鳴る事が敗北を意味する事は百も承知していた。(アジアでは怒鳴る人間は軽蔑の対象。)しかし、以前その素朴さに魅了された村の雰囲気は一変し、どいつもこいつも金に汚い物売りに変貌してしまった。私の勝手な思い込みには過ぎないが、私の大切な思い出をぶち壊された、そんな気分だったのだ。

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 原因は解っている。此処が世界遺産に登録された事で観光客が倍増。当然観光客の落とすお金で、それまで素朴だった人々は突然バブル状態になっただろう。アグラーやヴァラナシは嘗てからの大観光地だし人口も多い。しかし此処は素朴な村だし、観光客が押し寄せたのも突然の事だから、余計目立ってしまうのだ。

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 勿論彼等がそんな風に変わってしまったのは、彼等だけのせいではない。時に旅人は良くこんなフレーズを使う。

「観光地化されててガッカリした。」

 だけどそれは旅人故の浅ましい考えだと思う。何故なら私達旅人が大挙して訪れたからこそ彼等が変わってしまったのだから。我々にだって責任はあるからだ。しかしながら特別な想いがあったこの村故に私は滅多に感じない想いだけど、この村を訪れた事を後悔しだしていた。

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 だけど、物売りは遺跡内には入れない。気を取り直して私は遺跡を見学した。遺跡に入ればイスラーム文化が浸透した北インドでは珍しく、ヒンズー寺院遺跡が状態良く保存されており、それだけでも十分価値はある。しかしこの遺跡を特別な存在にしているのが、各寺院に施されたレリーフなのである。

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 そのレリーフは通常良くある、王族の権威を描いたものでもなく、聖人の教えを説いたものでも無い。男女がまぐわう姿を永遠と描いたものなのである。日本は48手あると言われる体位はインドでは108、即ち煩悩分あると伝えられている。一対一のみじゃなく、3P、4P当たり前、時には動物とまで…。そしてお取り組み中の石像の取り巻きの石像も要注目だ。恥じらう様に手で顔を覆いつつも指の間から行為を覗いていたり、自慰に耽っていたり、なんとも良く人間ってものを良く表現し尽くしている。

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 そう書いていると、とんでもないものを見ていると思うが、青空の下、インド独特のグラマラスで克つユーモラスな彫像を見ていると、エロチックではあれ、いやらしさは不思議と感じさせない。仏教も密教の後半の時代になると、こうした性的な描写が現される様になるが、子作りは昔の人にとっては、大変な儀式でもあり命懸けでもあっただろうし、それが昇華して神聖な意味を持つに至るのも不思議な事では無かったのかもしれない。

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 それにしても…。十年前に見たとはいえ、再び口をあんぐりしながら、表口の物売りの軍団を避ける為、裏口から遺跡を後にした。すると、表口にいた物売りとは明らかに身なりの違う、明らかにローカーストな物売りが地べたに商品を並べていた。きっと身分が低いから、身分の高い物売りが屯する場所の良い正門の前では商いが出来ないのであろう。

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 そこを前を歩いていたインド人にか細い声で商品を見せるが、身分が高いであろうそのインド人観光客は、そんな物売りを足蹴にする様な勢いで追い払ってしまった。少し遅れて私もローカーストの物売りの直前を歩く。視線を落とし、彼の商品に目をやった。驚いた。私が探していたものがそこにあった。

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 私が探していたものとは、この寺院の数々のエロチックなレリーフの写真で作ったトランプだ。私がいつも買って戻る土産は、専門的過ぎて、旅の趣味を共通する人には喜ばれるが、一般の人々には逆に伝わらない事も多かった。でもこれなら、単なるそこら辺の親父も顔がニンマリするに決まってる。旅が好きな人にとっては世界遺産のトランプだ。

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 私が商品に興味を持った事を知っても、彼は決して煽る様な真似はしなかった。(正門にいる様な押し売りに興味を持った事がばれると大変な事になる。)それどころかせっかくの商品のパッケージを破ってまで中身を見せてくれようとする。

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 私はそれを丁寧に断ると、彼はそれほど在庫を持っていなかったので、全部くださいと頼んだ。値段を聞けば、正門で尋ねたら絶対あり得ない様な穏やかな金額だった。だからバクシーシも含めて私は言い値で買い物をした。

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 店主はそんな私の手を両手で包んでありがとうと頭を下げた。インド人特有のつぶらな瞳が潤んでいた。私は残るもう一方の掌で彼の手を包み

「こちらこそ!」

 と返した。私はこのローカーストの老人に助けられたのだ。世界遺産になって金で汚れてしまったカジュラホーの村の人々、そんな中でローカーストのこの老人だけが、昔ながらの素朴さを残していた。私のこの村の綺麗な思い出は、この老人によって助けられたのだ。この村に再訪出来て良かった。