インド旅行記後編その1

 初めてインドを訪れてから十年以上の月日が流れた。十年経てば自分も変われば旅も変わる。バックパックを背負うスタイルこそ変わらないが、向こう見ずな体験ありきの過去の旅に比べ、テーマを絞り歴史を追う旅を目指す様になった。これまでは眺めた風景は心眼に焼き付ける事をモットーに、写真は撮らない旅を続けていたが、ここは打って変わって心の思うがままに写真を写す様になった。

 こうして訪れる事となった二度目のインド。私の旅の最大のテーマはイスラーム。インドにはアジア大陸三大イスラーム王朝のひとつであるムガル帝国の歴史を追う事が最大のテーマとなった。では旅行記を始める前に、先ずこのムガル帝国について書いておきたい。

 13世紀ユーラシア大陸全域を震撼させる事件が起きた。ジンギス・ハーン率いるモンゴル帝国によるユーラシア全土に及ぶ征服だ。それは東は中国、西は現在のハンガリーにまで及んだ。当時の世界地図を一変させた大事件であったが、ジンギス・ハーン亡き後は各地のハーン(王)による王国が分割統治する事となる。

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(ジンギス・ハーン)
 その特徴は急激に御当地の文化に戻っていったと言う事。中国部分を担当したフビライ・ハーン王国(日本の歴史で言う元)は急激に中華化し、その他中央アジアを納めたハーン国は、それまでのイスラーム王朝へと戻っていった。そんなイスラームに戻った中央アジアのハーン国の中から、モンゴル帝国再興を掲げ、再び統一しようと言う男が現れた。ティムールである。彼は一気に中央アジア全土を纏めあげ西はヨーロッパ、東は中国と対峙するティムール帝国を築き上げる。しかしそんな彼の王国も彼の死後、尻窄みに歴史の中へと消えていった。

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(フビライ・ハーン)
 日本でも戦国の武将が「我は源氏の子孫…」と自称したり、過去の威を買って謳い文句にする事があるが、それと同様この地ではモンゴル帝国ティムール帝国の血筋を利用した。バーブルと呼ばれるムガル帝国を築いた男が、本当にティムールの血筋であったかは定かでは無い。しかし、彼はティムールの血筋と称し、モンゴル帝国復興を掲げて活動を始めた。

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(ティムール)
 しかし彼は彼の故郷である中央アジア(現在のウズベキスタン)では大志を遂げる事が出来ず、失意の内に故郷を捨てて南へ旅する。そして一旦現在のアフガニスタンのカブールに潜伏。そして当時弱小のイスラーム王朝が群雄割拠していたインド北部を平定し、遂に自分の王国を開く事となる。

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(バーブル)
 
 それこそがムガル帝国の始まりである。すなわちムガル帝国とはインド人にとって外来の王朝と言う事になる。そして王朝の名ムガルとは、この地方の訛りでモンゴルを指す。つまりムガル帝国とはインドに興ったモンゴル帝国と言う事になる。