インド旅行記前編9

 私の体調が回復したのはジェネラル・ホスピタルの名医によるものである事は揺らぎ無い。しかしそれをサポートしてくれたのはカトマンズの環境も大きく影響したと私は感じている。

 カトマンズバックパッカーにとって沈没の街として有名な街だ。バックパッカー用語である「沈没」とは居心地が良くて、ついついその街に長居してしてしまう事を指す。

 ネパールはヒンズー教だけでは無くチベット仏教徒も多く住む。アーリア人主体のインドと比べ、顔立ちも日本人に近い人種が多く暮らす。蒸し暑い熱帯気候のインドと比べ標高の高いカトマンズは日本人にとって快適な気候でもある。そんな事で余計インドで揉みくちゃにされてきた日本人の旅人にとってはカトマンズは沈没し易い街なのである。

 そんな中で私はゆっくりとしたペースでカトマンズの観光を楽しんだ。そこで宿の近くで行きつけになった定食屋がある。私向けにメニューには無いお粥を作ってくれたからだ。そこで働くウェイターの少年とも顔馴染みとなった。そんな彼との交流も私の楽しみのひとつとなった。

 しかしある朝、私は深く彼を傷つけてしまう事となる。彼は私に尋ねた。

「なんで日本人の旅人は長髪の人が多いの?」

「私達はバックパッカー、所謂貧乏旅行なんだ。だから散髪する金を惜しんでも旅したいからさ!」

 しかし、その回答は少年の心を打ち砕くものだった。少年は円らな瞳に涙をいっぱい貯めてこう叫んだ。

「嘘だ!
そんなの嘘だ!
君は貧乏な訳が無い。
事実高いだろう航空券を手にして君は此処まで来ている。
僕なんか、
僕なんか…
一生働いたとしても
この国を出れやしないんだ!」

 その言葉を私は一生わすれまい。正に頭部をハンマーで強打された面持ちだった。私はなんて傲慢だったのだろう?

 散髪代をケチってまで旅費にしたい!もちろんそれは私の本意でもあった。だけど私には選択肢があった。即ちそれは私の旅のスタイルに過ぎなかった。長髪だって当時のバックパッカーの流行に乗ったに過ぎなかった。日本で相対的に見れば貧しい方かもしれないが、絶対的な貧困に晒されている訳では無いし、スタイルを選びさえすれば、普通に散髪も出来るし貯金だってできただろう。でも少年の生きる世界に選択肢は無いのだ。そんな彼の前で私の発言は配慮に欠け過ぎていた。

 私は大きく頭を垂れた。垂れた頭を上げられなかった。しかし少年は私の想像する以上に回転の早い少年だった。すぐに話題を切り替え、いつものありきたりな会話へと戻してしまった。

 昨今の日本では所得の有り無しや仕事の質で人間の質を問う様な風潮が当たり前となっている。貧しい国を訪れ、上から目線で物事を言う日本人も多い。でもそれは完璧に間違えている。私は助けられたのだ。いや、その時の立場だけでは無く人間として…。私は貧しく弱い立場の少年から、人としてを教わったのだ。

 あれから時が過ぎ、私はバックパッカーのバイブルと言える沢木耕太郎氏の深夜特急を熟読した。特にインド編は穴が空くほど読み返した。何度も何度も相槌を打ちながら…。沢木さんほどの旅人も同じ様な体験をしてインドをたびしていたのだなぁと。沢木さんの旅でもシチュエーションは違えど、私と同じ様な体験談があった。いや、もしかすると、豊かな日本から、こうした第三か国を訪れるバックパッカーである以上、それはある意味洗礼とも言えるのかもしれない。でも、こうした経験で心を痛めなければ、自分も金や仕事だけで人を判断する様な貧しい国を上から目線で旅する様な、嫌なオッサン旅人になっていたかもしれない。

 改めてカトマンズの少年に礼を伝えたい。